・・・現に今日まで度々自分は自分よりも自分の身になって、菊池に自分の問題を考えて貰った。それ程自分に兄貴らしい心もちを起させる人間は、今の所天下に菊池寛の外は一人もいない。 まだ外に書きたい問題もあるが、菊池の芸術に関しては、帝国文学の正月号・・・ 芥川竜之介 「兄貴のような心持」
・・・彼は単に、農場の事務が今日までどんな工合に運ばれていたかを理解しようとだけ勉めた。彼は五年近く父の心に背いて家には寄りつかなかったから、今までの成り行きがどうなっているか皆目見当がつかなかったのだ。この場になって、その間の父の苦心というもの・・・ 有島武郎 「親子」
一 数日前本欄に出た「自己主張の思想としての自然主義」と題する魚住氏の論文は、今日における我々日本の青年の思索的生活の半面――閑却されている半面を比較的明瞭に指摘した点において、注意に値するものであった。け・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 今、汐時で、薄く一面に水がかかっていた。が、水よりは蘆の葉の影が濃かった。 今日は、無意味では此処が渡れぬ、後の橋が鳴ったから。待て、これは唄おうもしれない。 と踏み掛けて、二足ばかり、板の半ばで、立ち停ったが、何にも聞こえぬ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 豪雨は今日一日を降りとおして更に今夜も降りとおすものか、あるいはこの日暮頃にでも歇むものか、もしくは今にも歇むものか、一切判らないが、その降り止む時刻によって恐水者の運命は決するのである。いずれにしても明日の事は判らない。判らぬ事には・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ そのはにかんでいる様子は、今日まで多くの男をだまして来た女とは露ほども見えないで、清浄無垢の乙女がその衣物を一枚一枚剥がれて行くような優しさであった。僕が畜生とまで嗅ぎつけた女にそんな優しみがあるのかと、上手下手を見分ける余裕もなく、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・就中疱瘡は津々浦々まで種痘が行われる今日では到底想像しかねるほど猛列に流行し、大名高家は魯か将軍家の大奥までをも犯した。然るにこの病気はいずれも食戒が厳しく、間食は絶対に禁じられたが、今ならカルケットやウェーファーに比すべき軽焼だけが無害と・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ことに文学は独立的の事業である。今日のような学校にてはどこの学校にても、Mission School を始めとしてどこの官立学校にても、われわれの思想を伝えるといっても実際伝えることはできない。それゆえ学校事業は独立事業としてはずいぶん難い・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 二郎は沖の方を見ますと、赤い船が、今日も停まっていました。 やはり、夢ではなかったことがわかりました。 晩方まで、花の咲いている丘の上で、彼は空想に時をすごしました。 そして、海の面が入り日の炎に彩られて、静かに暮れていっ・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・八 その翌朝、同宿の者が皆出払うのを待って、銭占屋は私に向って、「ねえ君、妙な縁でこうして君と心安くしたが、私あ今日向地へ渡ろうと思うからね、これでいよいよお別れだ。お互に命がありゃまた会わねえとも限らねえから、君もまあ・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫