・・・その下宿屋は、荻窪でも、最下等の代物であったのである。けれども、この蒲団部屋の隣りの六畳間は、その下宿の部屋よりも、もっと安っぽく、侘しいのである。「他に部屋が無いのですか」「ええ。みんな、ふさがって居ります。ここは涼しいですよ」・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・袖口はほころびて、毛糸が垂れさがって、まず申し分のない代物なのです。戸田さんは毎年、秋になると脚気が起って苦しむという事も小説で知っていましたので、私のベッドの毛布を一枚、風呂敷に包んで持って行く事に致しました。毛布で脚をくるんで仕事をなさ・・・ 太宰治 「恥」
・・・冷厳の鑑賞には、とても堪えられる代物ではないのである。謂わば、だらしない作品ばかりなのである。けれども、作者の愛着は、また自ら別のものらしく、私は時折、その甘ったるい創作集を、こっそり机上に開いて読んでいる事もあるのである。その創作集の中で・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・陶工が凡庸であるためにせっかく優良な陶土を使いながらまるで役に立たない無様な廃物に等しい代物をこね上げることはかなりにしばしばある。これでは全く素材がかわいそうである。しかし学問の場合においては、いい素材というものは一度掘り出されればいつか・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・有体に白状すれば私は善人でもあり悪人でも――悪人と云うのは自分ながら少々ひどいようだが、まず善悪とも多少混った人間なる一種の代物で、砂もつき泥もつき汚ない中に金と云うものが有るか無いかぐらいに含まれているくらいのところだろうと思う。私がこう・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・蘭麝の薫りただならぬという代物、オヤ小つまか。小つまが来ようとは思わなかった。なるほど娑婆に居る時に爪弾の三下りか何かで心意気の一つも聞かした事もある 聞かされた事もある。忘れもしないが自分の誕生日の夜だった。もう秋の末で薄寒い頃に袷に襦袢・・・ 正岡子規 「墓」
・・・バイブルが「手袋なしには持てぬ」代物である通り、ブルジョア世界観によって偽善的に、甘ったるく装われ、その実は血を啜る残虐の行われている「子供の無邪気さ、純真さ」の観念に対してこそ、プロレタリアートは「知慧の始り」である憎悪をうちつけるのでは・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・ この問題は、同時に、そうちょいと簡単に、ナンセンスでやっつけるわけには行かない代物なのだから、自分とすると、またまたここで、抑々ソヴェト生産拡張五箇年計画は、というところからやり直すのが、ひどい苦痛だ。 いろいろやって見たが、三度・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・のような怪しげな作家たちが、「犬横丁」のような代物にまとめて売り出した。「犬横丁」は全部が嘘を書いているとは云えないとしても、現れて来る何人かのコムソモールの生存重点を、彼等の性生活、而も病的に拡大された性関係の混乱にだけ置いていること・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ダントンがそれを食いたさに、椅子から転がり落ちたと云う代物だ」二 その日のナポレオンの奇怪な哄笑に驚いたネー将軍の感覚は正当であった。ナポレオンの腹の上では、径五寸の田虫が地図のように猖獗を極めていた。この事実を知っていたも・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫