・・・いや、ぬかるみのたまり水よりも一層鮮かな代赭色をしている。彼はこの代赭色の海に予期を裏切られた寂しさを感じた。しかしまた同時に勇敢にも残酷な現実を承認した。海を青いと考えるのは沖だけ見た大人の誤りである。これは誰でも彼のように海水浴をしさえ・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 帰りに、峰の茶屋で車を下りて眼の上の火山を見上げた。代赭色を帯びた円い山の背を、白いただ一筋の道が頂上へ向って延びている。その末はいつとなく模糊たる雲煙の中に没しているのが誘惑的である。ちょっと見ると一と息で登れそうな気がするが、上り・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・彩色と云っても絵具は雌黄に藍墨に代赭くらいよりしかなかったが、いつか伯父が東京博覧会の土産に水彩絵具を買って来てくれた時は、嬉しくて幾晩も枕元へ置いて寝て、目が覚めるや否や大急ぎで蓋をあけて、しばしば絵具を検査した。夕焼けの雲の色、霜枯れの・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・山々の中腹以下は黄色に代赭をくま取った雲霧に隠れて見えない。すべてが岩絵の具でかいた絵のように明るく美しい色彩をしている。もちろん土佐の山々だろうと思って、子供の時から見慣れたあの峰この峰を認識しようとするが、どうも様子がちがってそれらしい・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・同じ日に甥のNが西洋種の蘭の鉢を持って来てくれた。代赭色の小鉢に盛り上がった水苔から、青竹箆のような厚い幅のある葉が数葉、対称的に左右に広がって、そのまん中に一輪の花がややうなだれて立っている。大部分はただ緑色で、それに濃い紫の刷毛目を引い・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・青い葉の菖蒲に紫の花が咲いているのを代赭色の着物を着た舎人が持って行く姿があざやかであるとか、月の夜に牛車に乗って行くとその轍の下に、浅い水に映った月がくだけ水がきららと光るそれが面白い、と清少納言の美感は当時の宮廷生活者に珍しく動的である・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・径二寸もあろうかと思われる、小さい急須の代赭色の膚に Pemphigus という水泡のような、大小種々の疣が出来ている。多分焼く時に出来損ねたのであろう。この蝦蟇出の急須に絹糸の切屑のように細かくよじれた、暗緑色の宇治茶を入れて、それに冷ま・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・ 東京から来た石田の目には、先ず柱が鉄丹か何かで、代赭のような色に塗ってあるのが異様に感ぜられた。しかし不快だとも思わない。唯この家なんぞは建ててから余り年数を経たものではないらしいのに、何となく古い、時代のある家のように思われる。それ・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫