・・・三の丸の石段の下まで来ると、向こうから美しい蝙蝠傘をさした女が子供の手を引いて木陰を伝い伝い来るのに会うた。町の良い家の妻女であったろう。傘を持った手に薬びんをさげて片手は子供の手を引いて来る。子供は大きな新しい麦藁帽の紐を・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・王の血がフンドの指の間を伝い上って彼の傷へ届いたと思うと、傷は見るまに癒合して包帯しなくてもよいくらいになった。……王の遺骸はそれから後もさまざまの奇蹟を現わすのであった。 私がこのセント・オラーフの最期の顛末を読んだ日に、偶然にも長女・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・そして爪先下りのなだらかな道を下へ下へとおりて行く、ある人はどこまでも同じ高さの峰伝いに安易な心を抱いて同じ麓の景色を眺めながら、思いがけない懸崖や深淵が路を遮る事の可能性などに心を騒がすようなことなしに夜の宿駅へ急いで行く。しかし少数のあ・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・棍棒は繁茂した桑の枝を伝いて其根株に止った。更に第三の搏撃が加えられた。そうして赤犬を撲殺した其棍棒は折れた。悪戯の犠牲になった怪我人は絶息したまま仲間の為めに其の家へ運ばれた。太十は其夜も眠らなかった。彼は疲労した。七 怪・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・玄関へ外套を懸けて廊下伝いに書斎へ這入るつもりで例の縁側へ出て見ると、鳥籠が箱の上に出してあった。けれども文鳥は籠の底に反っ繰り返っていた。二本の足を硬く揃えて、胴と直線に伸ばしていた。自分は籠の傍に立って、じっと文鳥を見守った。黒い眼を眠・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・ 和尚の室を退がって、廊下伝いに自分の部屋へ帰ると行灯がぼんやり点っている。片膝を座蒲団の上に突いて、灯心を掻き立てたとき、花のような丁子がぱたりと朱塗の台に落ちた。同時に部屋がぱっと明かるくなった。 襖の画は蕪村の筆である。黒い柳・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 二つの小さな姿が、川岸伝いに、川上の捲上小屋に駆けて行くのが、吹雪の灰色の夕闇の中に、影絵のように見えた。 二人の子供たちは、今まで、方々の仕事場で、幾つも幾つも、惨死した屍体を見るのに馴れていた。物珍らしそうに見ていたので、殴り・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・涙は雨洩のように私の頬を伝い始めた。私は首から上が火の塊になったように感じた。憤怒! 私は傷いた足で、看守長の睾丸を全身の力を罩めて蹴上げた。が、食事窓がそれを妨げた。足は膝から先が飛び上がっただけで、看守のズボンに微に触れただけだった・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・ 余興の席は廊下伝いに往く別室であった。正面には秋水が著座している。雑誌の肖像で見た通りの形装である。顔は極て白く、脣は極て赤い。どうも薄化粧をしているらしい。それと並んで絞の湯帷子を著た、五十歳位に見える婆あさんが三味線を抱えて控えて・・・ 森鴎外 「余興」
・・・ 忍藻がうなずいて礼をしたので母もそれから座を立って縁側伝いに奥の一間へようよう行ッた。跡に忍藻はただ一人起ッて行く母の後影を眺めていたが、しばらくして、こらえこらえた溜息の堰が一度に切れた。 話の間だがちょッとここで忍藻の性質や身・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫