・・・しかし、それまでには孫のお栄も、不慮の災難でもございませなんだら、大方年頃になるでございましょう。何卒私が目をつぶりますまででよろしゅうございますから、死の天使の御剣が茂作の体に触れませんよう、御慈悲を御垂れ下さいまし。」 祖母は切髪の・・・ 芥川竜之介 「黒衣聖母」
・・・は私の醒めがたい悪夢から這いださしてくださいました――私がここから釈放された時何物か意義ある筆の力をもって私ども罪に泣く同胞のために少しでも捧げたいと思っております――何卒紙背の微意を御了解くださるように念じあげます云々―― 終日床・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・母上さん、何卒……お返しを願います、それでないと私が……」と漸との思で言いだした。母は直ぐ血相変て、「オヤそれは何の真似だえ。お可笑なことをお為だねえ。父上さんの写真が何だというの?」「どうかそう被仰らずに何卒お返しを。今日お持返え・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・自分は決して浮きたる心でなく真面目にこの少女を敬慕しておる、何卒か貴所も自分のため一臂の力を借して、老先生の方を甘く説いて貰いたい、あの老人程舵の取り難い人はないから貴所が其所を巧にやってくれるなら此方は又井下伯に頼んで十分の手順をする、何・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・些少にはござりますれど、御用を御欠かせ申しましたる御勘弁料差上げ申しまする。何卒御納め下されまして、御随意御引取下されまするように。」と、利口に云廻して指をついて礼をすると、主人も同時に軽く頭を下げて挨拶した。 すると「にッたり」は・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・「乙骨君は近頃なかなか壮んなようだねえ」 と不図思出したように、原は戸口のところに立って尋ねた。「乙骨かい」と相川は受けて、「乙骨は君、どうして」「何卒、御逢いでしたら宜しく」「ああ」 そこそこにして原は出て行った。・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・とにかく東京から一歩でも、半歩でもなんでも外へ出る。何卒して、今夜のうちに、とりかえしのつかないところまで行ってしまって置かなければ。よこはまほんもく二円はどうだ。いやならやめろ。二円おんの字、承知のすけ。ぶんぶん言って疾進してゆく、自動車・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・さて今回本紙に左の題材にて貴下の御寄稿をお願い致したく御多忙中恐縮ながら左記条項お含みの上何卒御承引のほどお願い申上げます。一、締切は十二月十五日。一、分量は、四百字詰原稿十枚。一、題材は、春の幽霊について、コント。寸志、一枚八円にて何卒。・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・このつぎには、五十銭でも五銭でも、お言葉にしたがいますゆえ、何卒、いちど、たのみます。五円の稿料いただいても、けっしてご損おかけせぬ態の自信ございます。拙稿きっと、支払ったお金の額だけ働いて呉れることと存じます。四日、深夜。太宰治。」・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ああ、何卒母上を呼んでくれい。引き留めてくれい。何故お前は母上の帰って行くのを見ていながら引留めてはくれなんだか。死。わしの知った事では無い。母に対してどうするのも、皆其方の思うままであったのじゃ。主人。ええ、この胸に何の感じもなか・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
出典:青空文庫