・・・それから引きつづいて、余震が、火災のはびこる中で、われわれのからだに感じ得たのが十二時間に百十四回以上、そのつぎの十二時間に八十八回、そのつぎが六十回、七十回と来ました。どんな小さな地震をも感じる地震計という機械に表われた数は、合計千七百回・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・根津を抜けて帰るつもりであったが頻繁に襲って来る余震で煉瓦壁の頽れかかったのがあらたに倒れたりするのを見て低湿地の街路は危険だと思ったから谷中三崎町から団子坂へ向かった。谷中の狭い町の両側に倒れかかった家もあった。塩煎餅屋の取散らされた店先・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・このくらいのならあとから来る余震が相当に頻繁に感じられるだろうと思っていると、はたしてかなり鮮明なのが相次いでやって来た。 山の手の、地盤の固いこのへんの平家でこれくらいだから、神田へんの地盤の弱い所では壁がこぼれるくらいの所はあったか・・・ 寺田寅彦 「断水の日」
・・・幸福も不幸福も、変化の瞬間が最高点で、それからあとは、大地震の余震のように消えて行く。 そのおかげで、われわれは、こうやって生きて行かれるのかもしれない。 十八 入歯は、やはり西洋人のこしらえ始めたものだ・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
出典:青空文庫