・・・ 内蔵助は、こう云う十内の話を、殆ど侮蔑されたような心もちで、苦々しく聞いていた。と同時にまた、昔の放埓の記憶を、思い出すともなく思い出した。それは、彼にとっては、不思議なほど色彩の鮮な記憶である。彼はその思い出の中に、長蝋燭の光を見、・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 浅川の叔母の言葉には、軽い侮蔑を帯びた中に、反って親しそうな調子があった。三人きょうだいがある内でも、お律の腹を痛めないお絹が、一番叔母には気に入りらしい。それには賢造の先妻が、叔母の身内だと云う理由もある。――洋一は誰かに聞かされた・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 彼女はちらりと牧野の顔へ、侮蔑の眼の色を送りながら、静に帯止めの金物を合せた。「それでも安心して下さい。身なんぞ投げはしませんから、――」「莫迦な事を云うな。」 牧野はばたりと畳の上へ、風俗画報を抛り出すと、忌々しそうに舌・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・それから鼻眼鏡の位置を変えて、本間さんの顔を探るような眼で眺めたが、そこに浮んでいる侮蔑の表情が、早くもその眼に映ったのであろう。残っているウイスキイを勢いよく、ぐいと飲み干すと、急に鬚だらけの顔を近づけて、本間さんの耳もとへ酒臭い口を寄せ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・しかしこの雑誌社から発行する雑誌に憎悪と侮蔑とを感じていた彼は未だにその依頼に取り合わずにいる。ああ云う雑誌社に作品を売るのは娘を売笑婦にするのと選ぶ所はない。けれども今になって見ると、多少の前借の出来そうなのはわずかにこの雑誌社一軒である・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・―― 一 無言に終始した益軒の侮蔑は如何に辛辣を極めていたか! 二 書生の恥じるのを欣んだ同船の客の喝采は如何に俗悪を極めていたか! 三 益軒の知らぬ新時代の精神は年少の書生の放論の中にも如何に溌溂と鼓動していたか! ・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・そして極度の侮蔑をもって彼から矢部の方に向きなおると、「あなたひとつお願いしましょう、ちょっと算盤を持ってください」 とほとほと好意をこめたと聞こえるような声で言った。 矢部は平気な顔をしながらすぐさま所要の答えを出してしまった・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ かつて河上肇氏とはじめて対面した時、氏の言葉の中に「現代において哲学とか芸術とかにかかわりを持ち、ことに自分が哲学者であるとか、芸術家であるとかいうことに誇りをさえ持っている人に対しては自分は侮蔑を感じないではいられない。彼らは現代が・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・私はその時ほど烈しく、人の好意から侮蔑を感じたことはなかった。 思想と文学との両分野に跨って起った著明な新らしい運動の声は、食を求めて北へ北へと走っていく私の耳にも響かずにはいなかった。空想文学に対する倦厭の情と、実生活から獲た多少の経・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・かつ、井侯は団十郎をお伴につれていても芸術に対する理解があったは、それまで匹夫匹婦の娯楽であって士太夫の見るまじきものと侮蔑んだ河原者の芸術を陛下の御覧に供したのでも明かである。今から見れば何でもないように思うが、四十年前俳優がマダ小屋者と・・・ 内田魯庵 「四十年前」
出典:青空文庫