・・・書家には西川春洞、篆刻家には浜村大、画家には小林永濯がある。俳諧師には其角堂永機、小説家には饗庭篁村、幸田露伴、好事家には淡島寒月がある。皆一時の名士である。しかし明治四十三年八月初旬の水害以後永くその旧居に留ったものは幸田淡島其角堂の三家・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・に行かなかったのは余の幸であるかはた不幸であるか、考うること四十八時間ついに判然しなかった、日本派の俳諧師これを称して朦朧体という 忘月忘日 数日来の手痛き経験と精緻なる思索とによって余は下の結論に到着した自転車の鞍とペダルとは・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・一 既に優美を貴ぶと言えば、遊芸は自から女子社会の専有にして、音楽は勿論、茶の湯、挿花、歌、誹諧、書画等の稽古は、家計の許す限り等閑にす可らず。但し今の世間に女学と言えば、専ら古き和文を学び三十一文字の歌を詠じて能事終るとする者なきに非・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・ 芭蕉が創造の功は俳諧史上特筆すべきものたること論を竢たず。この点において何人かよくこれに凌駕せん。芭蕉の俳句は変化多きところにおいて、雄渾なるところにおいて、高雅なるところにおいて、俳句界中第一流の人たるを得。この俳句はその創業の功よ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・○こういうように毎日集まって話をして居る内には自ら俳友仲間の評判なども常に出るので、それがために前々号に挙げた『俳諧評判記』のような者も出来た次第である。ただあの文章はいくらか書き様に善くない処があって徒らに人を罵詈したように聞こえたの・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・彼は下級武士で、やがて武士をやめて俳諧の道に入った。芭蕉の風流というものの規準が極端に小さい経済的基礎の上に立っていることは、意味ふかいことである。芭蕉は、小舎の柱に一つの瓢箪をつるし、そのなかに入れた米とそのほかほんの僅かの現世的経済の基・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・私は俳諧のことは何にも知らない。全くの門外漢なのだけれども、折々読んだ句集の中から与えられて来ている感銘が多く深いところをみれば、彼の芸術には今の瞬間に息づいている何ものかがあるにちがいない。ここにぬきがきした僅の句は、私たちに理解されると・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・ある人がかつて俳諧は普遍の徳があるとか云ったが、子規の一派の永く活動しているのは、この普遍の徳にでも基いて居るものであろう。予が主筆のために説かんと約した鴎外漁史の事は此に終る。しかし予は主筆に、予をして猶暫く語らしめん事を願う。想うにこの・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・また源仙と云った。また俳諧をもして仙塢と号した。 父伊兵衛は恐らくは遊所に足を入れなかったであろう。然るに竜池は劇場に往き、妓楼に往った。竜池は中村、市村、森田の三座に見物に往く毎に、名題役者を茶屋に呼んで杯を取らせた。妓楼は深川、吉原・・・ 森鴎外 「細木香以」
関東大震災の前数年の間、先輩たちにまじって露伴先生から俳諧の指導をうけたことがある。その時の印象では、先生は実によく物の味のわかる人であり、またその味を人に伝えることの上手な人であった。俳句の味ばかりでなく、釣りでも、将棋でも、その他・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫