・・・卓あり、粗末なる椅子二個を備え、主と客とをまてり、玻璃製の水瓶とコップとは雪白なる被布の上に置かる。二郎は手早くコップに水を注ぎて一口に飲み干し、身を椅子に投ぐるや、貞二と叫びぬ。 声高く応してここに駆け来る男は、色黒く骨たくましき若者・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・むずかしく言えば一種霊活な批評眼を備えていた人、ありていに言えば天稟の直覚力が鋭利である上に、郷党が不思議がればいよいよ自分もよけいに人の気質、人の運命などに注意して見るようになり、それがおもしろくなり、自慢になり、ついに熟練になったのであ・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・資本主義は、次の戦争に備えるために、あらゆるものを利用している。労働者、農民の若者を××に引きずりこんで、誰れ彼れの差別なく同じ××を着せる。人間を一ツの最も使いいゝ型にはめこんでしまおうとする。そうして、労働者農民の群れは、鉄砲をかついで・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
・・・多く夏の釣でありますから、泡盛だとか、柳蔭などというものが喜ばれたもので、置水屋ほど大きいものではありませんが上下箱というのに茶器酒器、食器も具えられ、ちょっとした下物、そんなものも仕込まれてあるような訳です。万事がそういう調子なのですから・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・此の夜縄をやるのは矢張り東京のものもやるが、世帯船というやつで、生活の道具を一切備えている、底の扁たい、後先もない様な、見苦しい小船に乗って居る余所の国のものがやるのが多い。川続きであるから多く利根の方から隅田川へ入り込んで来る、意外に遠い・・・ 幸田露伴 「夜の隅田川」
・・・おせんは夫を助けて働ける女では無かったし、殊に客なぞのある場合には、もうすこし細君らしい威厳を具えていたら、と思うことも多かった。「奥様はあんまり愛嬌が有り過ぎるんで御座いますよ、誰にでも好くしようと成さり過ぎるんで御座いますよ」と婆さんま・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。おまえたちも覚えて置くがよい。全世界、どこの土地でも、私の短い一生を言い伝えられる処には、必ず、この女の今日の仕草も記念として語り伝えられるであろう」そう言い結んだ時に、・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・部屋のまんなかにちゃぶだいが具えられ、卓のうえには、一ダアスほどのビイル瓶とコップが二つ置かれていた。「不思議です。きょうは来るとたしかにそう思っていたのです。いや、不思議です。それで朝からこんな仕度をして、お待ち申していました。不思議・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ 藤村庵というのがあって、そこには藤村氏の筆跡が壁に掛け並べてあったり、藤村文献目録なども備えてある。現に生きて活動している文人にゆかりのある家をこういうふうにしてあたかも古人の遺跡のように仕立ててあるのもやはりちょっと珍しいような気が・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・しかし大多数の読者がこの点について一通りの予備知識を備えているものと仮定してもおそらくたいした不都合はあるまいと思う。 ついでながら、自分のような門外漢がこの講座のこの特殊項目に筆を染めるという僣越をあえてするに至った因縁について一言し・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
出典:青空文庫