・・・ひどくがっかりして、しかし結局あきらめて辛抱して待って、さてもういいかと思って催促すると、今度は何とかがどうとかして何とかで工合が悪いからもう二、三日待てという、その何とかが実に尤千万な何とかで疑う余地などは鷹の睫毛ほどもないのだから全く納・・・ 寺田寅彦 「鷹を貰い損なった話」
・・・しかし何度も本屋へ通ってまだかまだかと催促してやっと手に入れたときの喜びはおそらくそのころのわれわれ仲間の特権であったかもしれない。 当時の田舎の本屋はいばったものであったような気がする。われわれは頭を下げて売ってもらっていたような感じ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・という催促を受けたから、まだ上があるのかなと不思議に思った。さあ上ろうと同意する。上れば上るほど怪しい心持が起りそうであるから。 四階へ来た時は縹渺として何事とも知らず嬉しかった。嬉しいというよりはどことなく妙であった。ここは屋根裏であ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・君が行け行けと催促するからさ」「ハハハありゃ御者でも亭主でもないんだとさ。弱ったな」「何が弱ったんだい」「何がって。僕はこう思ってたのさ。あの男が御者ですと云うだろう。すると僕が賭に勝つ訳になるから、君は何でも僕の命令に服さなけ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ お梅が帽子と外套を持ッて来た時、階下から上ッて来た不寝番の仲どんが、催促がましく人車の久しく待ッていることを告げた。 平田を先に一同梯子を下りた。吉里は一番後れて、階段を踏むのも危険いほど力なさそうに見えた。「吉里さん、吉里さ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・壁が破れても修繕はしてくれず、家賃ばかり矢の催促にくる大家に対して、借家人同盟の長屋委員会をつくろう等という考えは起さず、壁の穴へは、色紙一枚に雀一羽描いて何百円とかとる竹内栖鳳などというブル絵描きのあやしげな複製でもおとなしくはりつけて、・・・ 宮本百合子 「『キング』で得をするのは誰か」
・・・否応なく読ませられることから胸のわるくなるような思いのするその本を眺めまわしていると、スムールイは、嗄れ声で皿洗い小僧に催促した。「お――、読みな」 スムールイの黒トランクの中には『ホーマー教訓集』『砲兵雑記』『セデンガリ卿の書翰集・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・この男の表情、言語、挙動は人にこういう詞を催促していると云っても好い。役所でも先代の課長は不真面目な男だと云って、ひどく嫌った。文壇では批評家が真剣でないと云って、けなしている。一度妻を持って、不幸にして別れたが、平生何かの機会で衝突する度・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・さて軍勢を催促して鳴海まで出ると、秀吉の使が来て、光秀の死を告げた。 家康が武田の旧臣を身方に招き寄せている最中に、小田原の北条新九郎氏直が甲斐の一揆をかたらって攻めて来た。家康は古府まで出張って、八千足らずの勢をもって北条の五万の兵と・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・そしてわたくしはその声に「おとなしい催促」やら「物静かなはにかみ」やらを匂わせることが出来ましたのでございましょう。そしてそれをお聞きになったあなたもその声の中から、わたくしがあなたと御一しょでいい心持がいたしていると云うことやら、わたくし・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
出典:青空文庫