・・・これには実に格好な典型的なものがすでに元禄時代にできているように私には思われる。それは芭蕉とその門下の共同制作になる連句である。その多数な「歌仙」や「百韻」のいかなる部分を取って来ても、そこにこの「放送音画」のシナリオを発見することができる・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
・・・ 谷崎君は、さきに西鶴と元禄時代の文学を論じ、わたくしを以て紅葉先生と趣を同じくしている作家のように言われた。事の何たるを問わず自分の事をはっきり自分で判断することは至難である。谷崎君が批判の当れるや否やはこれを第三者に問うより外はない・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・男子の心は元禄武士の如くして其芸能は小吏の如くなる可しと。今この語法に従い女子に向て所望すれば、起居挙動の高尚優美にして多芸なるは御殿女中の如く、談笑遊戯の気軽にして無邪気なるは小児の如く、常に物理の思想を離れず常に経済法律の要を忘れず、深・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・りて主として林道春を採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛にして、碩学大儒続々輩出したりといえども、全国の士人がまったく仏臭を脱して儒教の独立を得るまでは、およそ百年を費し、元禄のころより享保以下にいたりて、はじめ・・・ 福沢諭吉 「政事と教育と分離すべし」
・・・徳教の老眼をもってこの有様を見れば、まことに驚くに堪えたり。元禄年間の士人を再生せしめて、これに維新以来の実況を語り、また、今の世事の成行を目撃せしめたらば、必ず大いに驚駭して、人倫の道も断絶したる暗黒世界なりとて、痛心することならんといえ・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・しかれども洒堂のこれらの句は元禄の俳句中に一種の異彩を放つのみならず、その品格よりいうも鳩吹、刈株の句のごときは決して芭蕉の下にあらず。芭蕉がこの特異のところを賞揚せずして、かえってこれを排斥せんとしたるを見れば、彼はその複雑的美を解せざり・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・いわば元禄趣味はよくわかって居るが天明趣味の句はまだわからない処がある。天明趣味の句はよくわかって居るが明治趣味の句はまだわかって居らん処がある。それに気が附かないで独悟ったつもりになって後輩を軽蔑して居ると思わぬ不覚を取る事がないとも限ら・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・章魚といかとが立ちあがって喧嘩した、ワッハハ、アッハハ、それはほんとか、それがらどうした、うん、かつおぶしが仲裁に入った、ワッハハ、アッハハ、それからどうした、ウン、するとかつおぶしがウウゥイ、ころは元禄十四年んん、おいおい、それは何だい、・・・ 宮沢賢治 「とっこべとら子」
・・・十六の彼女は従兄の忠一の後に大きな元禄紬の片腕を廻し背中に頻りに何か書いた。「ね? だから」 何々と書くのだろう。忠一はしかつめらしく結んだ口を押しひろげるようにして、うむ、うむ、合点している。篤介がひょいと活動雑誌から頭を擡げ何心・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ おお私のたった一人の――たった一人の私の妹よ―― 糸蝋はみやびやかに打ち笑む。 古金襴の袋刀は黒髪の枕上に小さく美くしい魂を守ってまたたく。 元禄踊りの絵屏風をさかしまに悲しく立て廻した中にしな・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫