・・・ 日露戦争がすんだころ、東京で元禄模様、元禄袖などと一緒に改良服というものが大流行した。歴史のありのままの表現で語れば、日本のおくれた資本主義は、日清戦争から十年後に経たこの侵略戦争で再び中国の国土を血ぬらし殖民地化しながらその興隆・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・その時、お千代ちゃんはやっぱり地味な紡績の元禄を着て海老茶袴をつけて出た。新聞が、それを質素でよいと褒めた。由子は、そうは思わなかった。いい着物をお千代ちゃんに着せたかった。あって着ないのではない。お千代ちゃんの家は貧しいのを、由子は知って・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・『人民文庫』による、武田麟太郎は、西鶴が市井生活のリアルな描写をとおして十八世紀日本の所謂元禄時代の姿を今日にまざまざと伝えていることに倣って、現代の市井のあれこれの営みの姿を描き、市井の「現実にまびれ」て生きることでその中から観念の戯画で・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・第一回が発表されはじめたこと、遠山葉子氏が西鶴、近松の描いた女性について、元禄文学の科学的批判に着手されていることなど、号を追うて注意をひきつけるものがある。 文化綜合雑誌として目下われわれは『文化集団』『知識』『生きた新聞』『進歩・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・硯友社の文学はその頃でも「洋装をした元禄小説」と評されていたのだが、そういう戯文的小説のなかへ、二葉亭四迷はロシア文学の影響もあって非常に進歩した心理描写の小説「浮雲」を、当時は珍しい口語文で書いたのであった。 文学を真面目に考えていた・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・久留米絣の元禄袖の着物に赤いモスリンの半幅帯を貝の口に結んだ跣足の娘の姿は、それなり上野から八時間ほど汽車にのせて北へ行った福島の田舎の祖母の黒光りのする台所へも現われた。 その村は明治に入ってから出来た新開の村で、子供の頃から私がよく・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・ 私は、紺がすりの元禄袖の着物に赤い小帯をチョコンとしめたまま、若し何処か戸じまりに粗漏な所があって、其処からでも入られたとあっては、ほんとに余り気が知れていやだと思って、故意と閉めたままになって居る家中の戸じまりを見て廻った。 湯・・・ 宮本百合子 「盗難」
・・・ はじめてこの図書館へ来たのは、女学校の二年ごろのことであった。元禄袖の着物に紫紺の袴、靴をはいた少女が、教室の退屈からのがれてこの高机の前に立ち、手を高くのばして借出用紙を出したとき、それをうけとった黒い上っぱりの人が、あなたまだ十六・・・ 宮本百合子 「図書館」
・・・近松門左衛門は、元禄という新しい時代の息ぶきで目ざまされ自然平等に発露しようとする人間の情、男女の情が、やはり昔ながらの身分のへだて、社会のしきたりの中にのこされている浮世の義理のしがらみにかかって破られ或は悲しい諦めに陥る悲劇を悲劇のなり・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・慶長から元禄へかけて、すなわち十七世紀の間は、前代の余勢でまだ剛宕な精神や冒険的な精神が残っているが、その後は目に見えて日本人の創造活動が萎縮してくる。思想的情況もまたそうである。 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫