・・・の外慨然として靖献遺言的の建白をし、維新以来二十年間沈黙した海舟伯までが恭謹なる候文の意見書を提出したので、国論忽ち一時に沸騰して日本の危機を絶叫し、舞踏会の才子佳人はあたかも阪東武者に襲われた平家の公達上のように影を潜めて屏息した。さすが・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・みちの間、山と申し、河と申し、そこばく大事にて候ひけるを、公達に守護せられ参らせ候て、難もなくこれまで着きて候事、おそれ入り候ひながら悦び存じ候。……所労の身にて候へば、不足なる事も候はんずらん。さりながらも、日本国に、そこばくもてあつかう・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・また、商人は倉庫に満す物貨を集め、長老は貴重な古い葡萄酒を漁り、公達は緑したたる森のぐるりに早速縄を張り廻らし、そこを己れの楽しい狩猟と逢引の場所とした。市長は巷を分捕り、漁人は水辺におのが居を定めた。総ての分割の、とっくにすんだ後で、詩人・・・ 太宰治 「心の王者」
・・・ いま日本に於いて、多少ともウール・シュタンドに近き文士は、白樺派の公達、葛西善蔵、佐藤春夫。佐藤、葛西、両氏に於いては、自由などというよりは、稀代のすねものとでも言ったほうが、よりよく自由という意味を言い得て妙なふうである。ダス・ゲマ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・材料 蕪村は狐狸怪をなすことを信じたるか、たとい信ぜざるもこの種の談を聞くことを好みしか、彼の自筆の草稿新花摘は怪談を載すること多く、かつ彼の句にも狐狸を詠じたるもの少からず。公達に狐ばけたり宵の春飯盗む狐追ふ声・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・彼が、目白の学習院へ招ばれ、フロックコオトを着て述べたところの講演は、若い公達等に、人間性の自覚の必要を力説したものであった。 漱石は、飾らない言葉で一面では日露戦争後の日本人の盲目的なヨーロッパ崇拝を罵倒し、他の一面ではヨーロッパの文・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
出典:青空文庫