・・・ ピエエル・オオビュルナンはこんな光景を再び目の前に浮ばせてみた。この男はそう云う昔馴染の影像を思い浮べて、それをわざとあくまで霊の目に眺めさせる。そうして置けば、それが他日物を書くときになって役に立たぬ気遣いは無い。それからピエエルは・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・曙覧はたして貧に悶ゆる者か否か。再びこれをその歌詠に徴せん。〔『日本』明治三十二年三月二十三日〕 余は思う、曙覧の貧は一般文人の貧よりも更に貧にして、貧曙覧が安心の度は一般貧文人の安心よりも更に堅固なりと。けだし彼に不平なきに非るも・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・間、兵卒一同再び倒る。曹長(面「上官。私は決心いたしました。この饑餓陣営の中に於きましては最早私共の運命は定まってあります。戦争の為にでなく飢餓の為に全滅するばかりであります。かの巨大なるバナナン軍団のただ十六人の生存者われわれもまた死・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・特に、最後の場面で再び女万歳師となったおふみ、芳太郎のかけ合いで終る、あのところが、私には実にもう一歩いき進んだ表現をとのぞまれた。このところは、恐らく溝口氏自身も十分意を達した表現とは感じていないのではなかろうか。勿論俳優の力量という制約・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・そこで人々はこの事件に話を移して、フォルチュネ、ウールフレークが再びその手帳を取り返すことができるだろうかできないだろうかなど言い合った。 そして食事が終わった。 人々がコーヒーを飲み了ったと思うと、憲兵の伍長が入り口に現われた。か・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 若先生に見て戴くのだからと断って、佐藤が女に再び寝台に寝ることを命じた。女は壁の方に向いて、前掛と帯と何本かの紐とを、随分気長に解いている。「先生が御覧になるかも知れないと思って、さっきそのままで待っているように云っといたのですが・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・そして再び戸の握りを握ってばったり戸を締めた。錠を卸すきしめきが聞えた。 ツァウォツキイはぼんやり戸の外に立っている。刹那に発した怒りは刹那に消え去って、ツァウォツキイはもう我子を打ったことをひどく恥ずかしく思っている。 ツァウォツ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ 文学がしかく科学のごとき素質を持ち、かくのごとく生き生きと存在理由を持つ以上、われわれは再び現下に於ける文学について、考えねばならぬ。しかも、それは、文学に於けるいかなる分野が、素質が、属性が、総ゆる文学の方向から共通に考察されね・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・しかし私は踏みとどまった。再び眼が見え出した時には、私は生きることと作ることとの意義が「やっとわかった」と思った。私は自分を愧じた。とともに新しい勇気が底力強く湧き上がって来た。 親しい友人から受けた忌憚なき非難は、かえって私の心を落ち・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫