・・・N君が帽子と外套を取って来てくれる間を出口でうろうろして、寒い空気に逆上した頭を冷やしていた。 このようにして、私の議会訪問は意外の失敗に終ってしまった。これはしかし、決して私を案内したN君の悪い訳でもなく、いわんや議会そのものの罪でも・・・ 寺田寅彦 「議会の印象」
・・・犬は蔭の湿った土に腹を冷して長くなって居た。二人は来た。三次は左の手を赤の腹へ当ててそっとあげた。後足は土について居る。赤はすっと首を低くしていつもの甘えた容子をした。犬には荒繩が斜にかけられた。犬は驚いてひいひいと悲愴な声を立てた。三次が・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・名士が自転車から落る稽古をすると聞いて英政府が特に土木局に命じてこの道路を作らしめたかどうだかその辺はいまだに判然しないが、とにかく自転車用道路として申分のない場所である、余が監督官は巡査の小言に胆を冷したものか乃至はまた余の車を前へ突き出・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・そう草で腹を冷やしちゃ毒だ」「腹なんかどうでもいいさ」「痛むんだろう」「痛む事は痛むさ」「だから、ともかくも立ちたまえ。そのうち僕がここで出る工夫を考えて置くから」「考えたら、呼ぶんだぜ。僕も考えるから」「よし」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・患者さんが足が熱って仕方がない、胡瓜の汁で冷してくれとおっしゃるもんですから私が始終擦って上げました」「じゃやっぱり大根おろしの音なんだね」「ええ」「そうかそれでようやく分った。――いったい○○さんの病気は何だい」「直腸癌で・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・妬甚しければ其気色言葉も恐敷冷して、却て夫に疏れ見限らるゝ物なり。若し夫不義過あらば我色を和らげ声を雅にして諫べし。諫を聴ずして怒らば先づ暫く止めて、後に夫の心和ぎたる時又諫べし。必ず気色を暴し声をいらゝげて夫に逆い叛ことなかれ。・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・また馬を冷しに連れてってやるからさ。」ファゼーロが叫びましたが、じいさんはどんどん行ってしまいました。ミーロはしばらくだまっていましたが、とうとうこらえきれないらしく、「おい、おれ歌うからな。」と云いだしました。 ファゼーロはそれど・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
・・・「さ、ちっと冷してから食うと美味いよ。芳ばしくて。――自分で焼いて見なさい」 一太は片手で焙りながら、片手で軽焼を食った。とても甘く、口に入ると溶けそうだ。「本当に美味しいや」「本当とも」 一太は、「もういい? もう・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ 只猫可愛がりになり勝な二十七になる女中は、主婦がだまって居ると、涼しい様にと、冷しすぎたものを持って行ったり、重湯に御飯粒を入れたり仕がちであった。可愛がって、自分の子を殺して仕舞う女はこんなんだろうと思うと、只無智と云う事のみが産む・・・ 宮本百合子 「黒馬車」
・・・夜中だったがお医者を呼んだら喉が少し赤いというのでルゴールでやいてね、冷やしたり、おなかをあっためたりそんなことをして、どう原因があるということもはっきりせず今日やっと平熱になりました。 眠って、眠って、眠って、まるでそういう病気のよう・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫