・・・そして辞儀の一つもする事を覚えてから出直すなら出直して来い。馬鹿」 そして部屋をゆするような高笑が聞こえた。仁右衛門が自分でも分らない事を寝言のようにいうのを、始めの間は聞き直したり、補ったりしていたが、やがて場主は堪忍袋を切らしたとい・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と祖母が軒先から引返して、番傘を持って出直す時、「あのう、台所の燈を消しといてくらっしゃいよ、の。」 で、ガタリと門の戸がしまった。 コトコトと下駄の音して、何処まで行くぞ、時雨の脚が颯と通る。あわれ、祖母に導かれて、振袖・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・私はちょっと其処へ掛けて、会釈で済ますつもりだったが、古畳で暑くるしい、せめてのおもてなしと、竹のずんど切の花活を持って、庭へ出直すと台所の前あたり、井戸があって、撥釣瓶の、釣瓶が、虚空へ飛んで猿のように撥ねていた。傍に青芒が一叢生茂り、桔・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・桂清水とか言うので顔を洗って私も出直す――それ、それ、見たが可い。婦人は、どうだ、椅子の陰へ小さく隠れて、身を震わしているじゃあないか。――帰りたまえ。」 また電燈が、滅びるように、呼吸をひいて、すっと消えた。「二人とも覚えてけつか・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・晩にも出直す。や、今度は長尻長左衛門じゃぞ。奥方、農産会に出た、大糸瓜の事ではない、はッはッはッ。(出て行村越座に帰る。撫子 (鬢に手をあて、悄旦那様、済みません。村越 お互の中にさえ何事もなければ、円髷も島田も構うもの・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・誰かに精しく訊いてから出直すつもりでいると、その中に一と月ほど経って、「小生事本日死去仕候」となった。一代の奇才は死の瞬間までも世間を茶にする用意を失わなかったが、一人の友人の見舞うものもない終焉は極めて淋しかった。それほど病気が重くなって・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・しかし真の辞世の句は「梅が香やちよつと出直す垣隣」だそうである。梅が香の句は灑脱の趣があって、この方が好い。 芥川氏の所蔵に香以の父竜池が鎌倉、江の島、神奈川を歴遊した紀行一巻がある。上木し得るまでに浄写した美麗な巻で、一勇斎国芳の門人・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫