一 ――一九二三年、九月一日、私は名古屋刑務所に入っていた。 監獄の昼飯は早い。十一時には、もう舌なめずりをして、きまり切って監獄の飯の少ないことを、心の底でしみじみ情けなく感じている時分だ。 私は・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・わたしが市ヶ谷刑務所にいたとき。直接作品にあらわれてはいないが宮本の父は一九三八年六月に亡くなった。宮本は巣鴨拘置所で拘禁生活の六年目、わたしは執筆を禁止されていた年に。父母と、こういう状況の下に死別した人々は、その頃の日本にわたしたちばか・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・ 私たち二人の作家の訪問は、一回きりで、つぎに、保護観察所という、刑務所の出張所のような役所で、内務省の役人との懇談会があった。そのときも、作家の側からは、生活権のことが主張された。その点については、まだ当時の事情では内務省としても考慮・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・その年の十二月二十日すぎの或る夜、夕刊に、宮本顕治が一年間の留置場生活から白紙のまま市ヶ谷刑務所へ移されたというニュースが出ていたと、一人の友人が知らせてくれた。作者はそのとき、思わずああ! と立ち上って、殺されなかった! とささやいた。一・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・閃光のように、刑務所や警察の留置場で闘っている同志たちのこと、更に知られざる無数の革命的労働者・農民のことが思われた。 十六日留置場の看守は交代せず、話しかけられるのを防ぐつもりか、小テーブルに突伏して居眠りばかりしていた。 数日経・・・ 宮本百合子 「刻々」
一月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より〕 あけましてお目出度う。私たちの三度目の正月です。元日は、大変暖かで雨も朝はやみ、うららかでしたが、そちらであの空をご覧になりましたろうか。去年の二十八日には、私が家を・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
十二月八日 〔牛込区富久町一一二市ヶ谷刑務所の宮本顕治宛 淀橋区上落合二ノ七四〇より〕 第一信。 [自注1] これは何と不思議な心持でしょう。ずっと前から手紙をかくときのことをいろいろ考えていたのに、いざ書くと・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 五月二十五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 本郷区駒込林町二一中條咲枝より[自注1]〕 きょうは御病気の様子が少しはっきりわかったのでいくらか安心いたしました。 面会の節、つい申すのを忘れましたが生玉子は白味をのぞいて黄味だ・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ そして私は思い出した。刑務所の さむい朝と 夜とを、 主として夜を その音が どっか遠くで順々にきこえ いつも最後に女舎で鳴り、机をたたんで床をしいたのを。 今も宮がその音で床をしいているのを、 彼・・・ 宮本百合子 「心持について」
・・・女性が刑務所を出てからどうすると云う問題も、彼女等に帰るところ、かえってから養って貰うところがあったので表面に出なかったのだろう。「仮令どんなによくしても監獄はよくならない」――人間をよくする処にはならない、とクロポトキンが云った通りだとす・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
出典:青空文庫