・・・ 我ら会員は相次いでナポレオン、孔子、ドストエフスキイ、ダアウィン、クレオパトラ、釈迦、デモステネス、ダンテ、千の利休等の心霊の消息を質問したり。しかれどもトック君は不幸にも詳細に答うることをなさず、かえってトック君自身に関する種々のゴ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・房の切れた、男物らしいのを細く巻いたが、左の袖口を、ト乳の上へしょんぼりと捲き込んだ袂の下に、利休形の煙草入の、裏の緋塩瀬ばかりが色めく、がそれも褪せた。 生際の曇った影が、瞼へ映して、面長なが、さして瘠せても見えぬ。鼻筋のすっと通った・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・茶の湯は今日の如く、人事の特別なものではない、世人の思う如く苦度々々しきものではない、変手古なものではない、又軽薄極まる形式を主としたものではない、形の通りの道具がなければ出来ないというものでもない、利休は法あるも茶にあらず法なきも茶にあら・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・間を縫って利休が鳴っている。――物音はみな、あるもののために鳴っているように思えた。アイスクリーム屋の声も、歌をうたう声も、なにからなにまで。 小婢の利休の音も、すぐ表ての四条通ではこんなふうには響かなかった。 喬は四条通を歩いてい・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・さてまた当時において秀吉の威光を背後に負いて、目眩いほどに光り輝いたものは千利休であった。勿論利休は不世出の英霊漢である。兵政の世界において秀吉が不世出の人であったと同様に、趣味の世界においては先ず以て最高位に立つべき不世出の人であった。足・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・ 兄はそれからこの庭の何流に属しているのか、その流儀はどこから起って、そうしてどこに伝って、それからどうして津軽の国にはいって来たかを説明して聞かせて、自然に話は利休の事に移って行った。「どうして、お前たちは、利休の事を書かないのだ・・・ 太宰治 「庭」
・・・うていたずらに奢侈の風を誇りしに過ぎざるていたらくなれば、未だ以て真誠の茶道を解するものとは称し難く、降って義政公の時代に及び、珠光なるもの出でて初めて台子真行の法を講じ、之を紹鴎に伝え、紹鴎また之を利休居士に伝授申候事、ものの本に相見え申・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・ 久内が、父の山下などと茶の湯をやる、茶の湯の作法を、横光は丹念に書いて「戦乱の巷に全盛を極めて法を確立させた利休の心を体得することに近づきたいと思っている」久内の安心立命、模索の態度を認め、更に「わが国の文物の発展が何といっても茶法に・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
出典:青空文庫