・・・左手に、高くすっきり櫓形に石をたたみ上げた慈海燈を前景とし、雨空の下にぼんやり遠く教会堂の尖塔が望まれる。櫛比した人家の屋根の波を踰え、鈍く光りつつ横わっている港の展望、福済寺は、長崎港の一番奥、東北よりの丘陵の上に位している。埋立地もなか・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・前の廊下を通る者はなく、こうやって座っていても、細い鉄の手摺り越しに遙か目の下に那須野が原まで垂れた一面の雨空と、前景の濃い楢の若葉、一本の小さい煙突、よその宿屋の手摺りにかかった手拭などが眺められる。濡れて一段と美しい楢の若葉を眺めつつ私・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・バルザックのは、陰謀を企む人々の背景に、あるときはその前景にチラリ、チラリとフーシェの剛慾さ、あくどさ、無良心。悪計。実に大革命末期からナポレオン時代、つづいて第二帝政時代と三代に亙っての大陰謀家たるボリュームが髣髴とし、湯気を立てている。・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
・・・足の下には敷かぬ絨毯を前景に拡げ、背後の蔦とともに綺麗に並んだトインビー・ホール居住人――数ヵ月の社会事業見習期間を終った「社会事業家」が監督を中央に記念撮影している。 樫の腰羽目をもった天井の高い室がある。トインビーの等身大肖像画が壁・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・薄明かりの坂路から怪物のように現われて来る逞しい牛の姿、前景に群がれる小さき雑草、頂上を黄橙色に照らされた土坡、――それらの形象を描くために用いた荒々しい筆使いと暗紫の強い色調とは、果たして「力強い」と呼ばるべきものだろうか。また自然への肉・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・氏はそれを半ばぼかした屋根や廂にも、麦をふるう人物の囲りの微妙な光線にも、前景のしおらしい草花にも、もしくは庭や垣根や重なった屋根などの全体の構図にも、くまなく行きわたらせた。柔らかで細かい、静かで淡い全体の調子も、この動機を力強く生かせて・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫