・・・季節と共に風の向も変って、春から夏になると、鄰近処の家の戸や窓があけ放されるので、東南から吹いて来る風につれ、四方に湧起るラヂオの響は、朝早くから夜も初更に至る頃まで、わたくしの家を包囲する。これがために鐘の声は一時全く忘れられてしまったよ・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・軍が平壌を包囲した時、彼は決死隊勇士の一人に選出された。「中隊長殿! 誓って責務を遂行します。」 と、漢語調の軍隊言葉で、如何にも日本軍人らしく、彼は勇ましい返事をした。そして先頭に進んで行き、敵の守備兵が固めている、玄武門に近づい・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・その細かな火山灰が正しく上層の気流に混じて地球を包囲しているな。けれどもそれだからと云って我輩のこの追跡には害にならない。もうこの足あとの終るところにあの途方もない爬虫の骨がころがってるんだ。我輩はその地点を記録する。もう一足だぞ。」大・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・ゴンクール自身は、政治として、この包囲を見ており、それを失敗として見ている。だが、民衆は、祖国の防衛として肉体をもってそれを感じ、そこに身を挺している。彼等灰色の人々に光栄あれ。 フランスの知識人は「政治」と「政変」とに飽きて、「政治」・・・ 宮本百合子 「折たく柴」
・・・こんにち、わたしたちが、かりに一人の未亡人の生活の上に、とざされた性の課題を見出すとき、それは社会的な複雑な条件に包囲されているばかりに、とざされた性としておかれていなければならないことを見ないものがあるだろうか。女性と子供とが、その社会で・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・ キュリー夫人は冷静に、パリの置かれている当時の事情を観察して、たといパリが包囲され、爆破されても、新しくできたばかりの研究所は自分の力で敵の手から守らなければならないと考えたからであった。研究所にある一グラムのラジウムを、人類と科学と・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・ヴォルガからスターリングラードへ入る埠頭の景色が思い出された。包囲されているときレーニングラードは、その美しい大通りと面白い数々の橋とでつい目の前に浮んできた。モスクワへ侵入軍が迫るという時、私はどんな憤りを以って侵入者の近寄る足音を想像し・・・ 宮本百合子 「新世界の富」
・・・十数年前には、モスクワの細長い書斎で、日本から来た女を前におきながら、私は退屈してしまったわ、曲芸も見あきたし……というようなことをいっていたベラ・イムベルでさえも、包囲されたレーニングラードに翔んでいって、その都市防衛の生活記録を日記風に・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・ ソヴェトが、帝国主義に包囲されているという国際的地位からみて、当然、もっと早く作家の問題となるべきことだった。世界の人民の解放と民族自立との社会主義達成のために、ソヴェトの生産労働に従う精鋭な前衛と、各国内の前進している労働者とは一身・・・ 宮本百合子 「ソヴェト文壇の現状」
・・・はレーニングラードがナチスの包囲線を戦いぬいた記録として注目すべきものだと云われている。二〇年前に名も知られていなかった女詩人、婦人作家が、一九四〇年以後に活躍している。ワンダ・ワシレフスカヤの「虹」は幸い日本にも翻訳され、その映画を見た人・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
出典:青空文庫