・・・「鱒だ、――北上川で取れるでがすよ。」 ああ、あの川を、はるばると――私は、はじめて一条長く細く水の糸を曳いて、魚の背とともに動く状を目に宿したのである。「あれは、はあ、駅長様の許へ行くだかな。昨日も一尾上りました。その鱒は停車・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・この日岩手富士を見る、また北上川の源に沼宮内より逢う、共に奥州にての名勝なり。 十七日、朝早く起き出でたるに足傷みて立つこと叶わず、心を決して車に乗じて馳せたり。郡山、好地、花巻、黒沢尻、金が崎、水沢、前沢を歴てようやく一ノ関に着す。こ・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・ 仙台以北は始めての旅だから、例により陸地測量部二十万分の一の地図を拡げて車窓から沿路の山水の詳細な見学をする。北上川沿岸の平野には稲が一面に実って、もう刈入れるばかりになっているように見える。昨夜仙台の新聞で欠食児童何百という表題の記・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・さよなら、北上山地、北上川、岩手県の夜の風、今武田先生が廻ってみんなの席の工合や何かを見て行った。一九二六(、五、一九、〔以下空白〕五月十九日 *いま汽車は青森県の海岸を走っている。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ それは本とうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。東の仙人峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截って来る冷たい猿ヶ石川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。 イギリス海岸には、青白い・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ とおくの百舌の声なのか、北上川の瀬の音か、どこかで豆を箕にかけるのか、ふたりでいろいろ考えながら、だまって聴いてみましたが、やっぱりどれでもないようでした。 たしかにどこかで、ざわっざわっと箒の音がきこえたのです。 も一どこっ・・・ 宮沢賢治 「ざしき童子のはなし」
・・・ そこらがまだまるっきり、丈高い草や黒い林のままだったとき、嘉十はおじいさんたちと北上川の東から移ってきて、小さな畑を開いて、粟や稗をつくっていました。 あるとき嘉十は、栗の木から落ちて、少し左の膝を悪くしました。そんなときみんなは・・・ 宮沢賢治 「鹿踊りのはじまり」
・・・おれのはもっとずっと上流の北上川から遠くの東の山地まで見はらせるようにあの小桜山の下の新らしく墾いた広い畑を云ったんだ。「全体どごさ行ぐのだべ。」「なあに先生さ従いでさぃ行げばいいんだじゃ。」また堀田だな。前の通りだ。うしろで黄いろ・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・それですから、北上川の岸からこの高原の方へ行く旅人は、高原に近づくに従って、だんだんあちこちに雷神の碑を見るようになります。その旅人と云っても、馬を扱う人の外は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅かなものでした。 今年も・・・ 宮沢賢治 「種山ヶ原」
* 旧暦の六月二十四日の晩でした。 北上川の水は黒の寒天よりももっとなめらかにすべり獅子鼻は微かな星のあかりの底にまっくろに突き出ていました。 獅子鼻の上の松林は、もちろんもちろん、まっ黒でし・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
出典:青空文庫