・・・「おまけに澪に流されたら、十中八九は助からないんだよ。」 Hは弓の折れの杖を振り振り、いろいろ澪の話をした。大きい澪は渚から一里半も沖へついている、――そんなことも話にまじっていた。「そら、Hさん、ありゃいつでしたかね、ながらみ・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・頸に創があると云うのだから、十中八九あの男に違いない。何でも偵察か何かに出た所が我軍の騎兵と衝突して頸へ一つ日本刀をお見舞申されたと云っていた。」「へえ、妙な縁だね。だがそいつはこの新聞で見ると、無頼漢だと書いてあるではないか。そんなや・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・そう云う愛好者は十中八九、聡明なる貴族か富豪かである。 好悪 わたしは古い酒を愛するように、古い快楽説を愛するものである。我我の行為を決するものは善でもなければ悪でもない。唯我我の好悪である。或は我我の快不快である。そう・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・をば垂れて、自分の膝の吹綿を弄っていたが、「ねえ金さん、お前さんもこれを聞いたら、さぞ気貧い女だとお思いだろうが……何しろ阿父さんには死なれてしまうし、便りにしていたお前さんはさっき言う通りで、どうも十中八九はこの世においでじゃなさそうに思・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 現代において行なわれておりあるいは行なわれうべき質的研究は必ずしも初めから有益でありおもしろいとは限らない。十中八九は実際おそらくなんらの目立った果実を結ぶことなく歴史の闇に葬られるかもしれない。しかしそういうものはいくらあっても、決・・・ 寺田寅彦 「量的と質的と統計的と」
・・・道徳から云えばやむをえず不徳も犯そうし、知識から云えば己の程度を下げて無知な事も云おうし、人情から云えば己の義理を低くして阿漕な仕打もしようし、趣味から云えば己の芸術眼を下げて下劣な好尚に投じようし、十中八九の場合悪い方に傾きやすいから困る・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・――人を通じて愛の関係をあらわすもの、これは十中八九いわゆる小説家の理想になっております。その愛の関係も分化するといろいろになります。相愛して夫婦になったり、恋の病に罹ったり――もっとも近頃の小説にはそんな古風なのは滅多にないようですが、そ・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
文学に心をひかれる人は、いつも、自分がかきはじめるより先にかならず読みはじめている。しかも、わたしたちがはじめて読んだ小説や、詩はどんな工合にして手にふれたかと云えば、それは十中八九偶然である。そういう人は大抵よむのがすき・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・何故なら、身の上相談の答えというものの十中八九は、率直に云ってお座なりである。解決らしい解決、説明らしい説明は極めて少い。それで質問者が果して納得するものであろうかと、寧ろ不思議にさえ思われる。 ところが、いつぞや身の上相談の解答のこつ・・・ 宮本百合子 「女性の教養と新聞」
・・・帰った日から祖母の容態が進み、カムフル注射をするようになった。十中八九絶望となった。祖母は、心持も平らかで、苦痛もない。私は、父の心を推察すると同情に堪えなかった。父は情に脆い質であった。彼にとって、母は只一人生き遺っていた親、幼年時代から・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
出典:青空文庫