・・・と光代はまだ余波を残して、私はお湯にでも参りましょうか。と畳みたる枕を抱えながら立ち上る。そんなことを言わずに、これ、出してくれよと下から出れば、ここぞという見得に勇み立ちて威丈高に、私はお湯に参ります。奥村さんに出しておもらいなさいまし。・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・そして神崎、朝田の二人が浴室へ行くと間もなく十八九の愛嬌のある娘が囲碁の室に来て、「家兄さん、小田原の姉様が参りました。」と淑かに通ずる。これを聞いて若主人は顔を上げて、やや不安の色で。「よろしい、今ゆく。」「急用なら中止しまし・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・法華経にて仏にならせ給ひて候と承はりて、御墓に参りて候」 こうした深くしみ入り二世をかけて結ぶ愛の誠と誓いとは、日蓮に接したものの渇仰と思慕とを強めたものであろう。 九 滅度 身延山の寒気は、佐渡の荒涼の生活で損・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・わいらがもっと大けになったら金ン比羅参りに連れて行てやるぞ。」「うん、連れて行て。」「嬉し、嬉し、うち、金ン比羅参りに連れて行て貰うて、鶴を見て来る。鶴を見て来る。」せつは、畳の上をぴんぴんはねまわって、母の膝下へざれつきに行った。・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・ 「イヤ馬鹿雨でさえなければあっしゃあ迎えに参りますから。」 「そうかい」と言って別れた。 あくる朝起きてみると雨がしよしよと降っている。 「ああこの雨を孕んでやがったんで二、三日漁がまずかったんだな。それとも赤潮でもさして・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・見澄まし洗濯はこの間と怪しげなる薄鼠色の栗のきんとんを一ツ頬張ったるが関の山、梯子段を登り来る足音の早いに驚いてあわてて嚥み下し物平を得ざれば胃の腑の必ず鳴るをこらえるもおかしく同伴の男ははや十二分に参りて元からが不等辺三角形の眼をたるませ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・贔屓のお屋敷から迎いを受けても参りません。其の癖随分贅沢を致しますから段々貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるりと廻って、戸棚の前へぴたりと坐った・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・あの小山の家の方で、墓参りより外にめったに屋外に出たことのないようなおげんに取っては、その川岸は胸一ぱいに好い空気を呼吸することの出来る場所であり、透きとおるような冷い水に素足を浸して見ることも出来る場所であった。おげんがその川岸から拾い集・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・年に一度のお祭は、次第に近づいて参りました。佐吉さんの店先に集って来る若者達も、それぞれお祭の役員であって、様々の計画を、はしゃいで相談し合って居ました。踊り屋台、手古舞、山車、花火、三島の花火は昔から伝統のあるものらしく、水花火というもの・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・車掌は「エエ、参りますよ、参りますとも、いくらでも参りますよ」とそう云って私について来た。 警官は私等二人の簡単な陳述を聞いているうちに、交番に電話がかかって来た。警官はそれを聞きながら白墨で腰掛のようなところへ何か書き止めていた。なか・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫