一 異性との間の友情の可能やその美しさなどについてより多くさまざまに思い描くのが常に女性であるということについて、私たちはどう考えたらいいのだろうか。 十五六歳のういういしい情感の上にそのさま・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・ 二人の先生はおすそわけにあずかったうどんを風呂敷につつんで往来へ出たが、下級の先生のやりかたに向う感情はおのずから等しくて、そこには一種の公憤めいたものもあり、傷けられた友情の痛みもあるというわけであった。 下級の先生の良人が折か・・・ 宮本百合子 「「うどんくい」」
・・・学生のインディアン ダンス五月 十三日 友情についての議論五月 十五日 夏の買物、広場で岩本、南、和田と三人で話す 〔欄外に〕此のシーンはもっと前に持って行ってよろし。五月 二十日 Lake George へ立つ・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・ それから、クマラスワミーとは友情が次第に濃やかになり、十月頃彼が帰るまで、我々は、ヨネ・野口をおいては親しい仲間として暮した。種々な恋愛問題なども、率直に打明けられるほどであった。然し、アタール氏とはこのまま会う機会もなく、殆ど忘れ切・・・ 宮本百合子 「思い出すこと」
・・・卒業してからの生活も、私たちの時代の娘たちはみんな夫々親の選択による結婚で、すっかり事情がちがってしまうから、友情さえも永くもち越される場合が少いように思える。まして、同級生の中で、いくらか違った生きかたをしたものは、まるで別ものになって、・・・ 宮本百合子 「女の学校」
・・・そうして自分の木下に対する友情は、木下に向かって「この師にさらに深く学ぶ」ことを忠告させようとする。彼はさまざまの近代芸術に心を魅せられたが、しかし結局彼の師は、彼がその早い青年時代に感じたごとく、ゲエテでなくてはならない。彼の内にさらにこ・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・孤立が誇りであった。友情は愛ではなくてただ退屈しのぎの交際であった。関係はただ自分の興味を刺戟し得る範囲に留まっていた。愛の眼を以て見れば弱点に気づいてもそれを刺そうという気は起らないが、嘲りの眼を以て見れば弱点をピンで刺し留めるのが唯一の・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・ 著者が故人を語るに当たって示した比類なき友情の表現もまた同様に脱我の立場によって可能にせられている。特に人を動かすのは浅川巧氏を惜しむ一文であるが著者はここに驚嘆すべき一人の偉人の姿をおのずからにして描き出している。描かれたのはあくま・・・ 和辻哲郎 「『青丘雑記』を読む」
・・・従ってこの集まりは友情の交響楽のようなふうにもなっていたのである。漱石とおのれとの直接の人格的交渉を欲した人は、この集まりでは不満足であったかもしれない。寺田寅彦などは、別の日に一人だけで漱石に逢っていたようである。少なくとも私が顔を出すよ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・二 かつて親しくIやJやKなどに友情を注いだという記憶が私を苦しめる。彼らを「愛した」ゆえに悔やむのではない。「彼らの内に」自分を見いだしたことがたまらなくいやなのである。しかし私は自分の内に彼らと共鳴するもののあったことを・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫