・・・ してみれば、よしんば二十歳そこそこだったとはいえ、女との別れ話に泣きだした時の私は案外幸福だったのかも知れない。取り乱すほど悲しめたのは、今にして想えば、なつかしい想い出である。もっとも、取り乱したのは、一種のジェスチヤだったのかも知・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・いささかも取り乱すことが無かったのだ。ヤキがまわった。だらしが無え。あの人だってまだ若いのだし、それは無理もないと言えるかも知れぬけれど、そんなら私だって同じ年だ。しかも、あの人より二月おそく生れているのだ。若さに変りは無い筈だ。それでも私・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・私が警察に連れて行かれても、そんなに取乱すような事は無かった。れいの思想を、任侠的なものと解して愉快がっていた日さえあった。同朋町、和泉町、柏木、私は二十四歳になっていた。 そのとしの晩春に、私は、またまた移転しなければならなくなった。・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ああ云う聖人の様な心持で居たらば、死を怖れて取乱す事もあるまい。人生の苦痛に対しても然り、聖人だって苦痛は有る、が、その間に一分の余裕があって取乱さん。悠々として迫らぬ気象、即ち「仁」がある。だから思想上で人生問題の解決が付くか否か解らんが・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・その悲しみがそんなだから、その悲しさではどう取乱すことも出来ず、またどう心を傷つけ歪めることも出来ない。そんな風に感じられる。生活が避けがたい波瀾を経験するようになってから、私は自分の愛する父と、たとえいつ、どこで、どのような訣れかたをしよ・・・ 宮本百合子 「わが父」
出典:青空文庫