・・・ その年転じて叡山に遊び、ここを中心として南都、高野、天王寺、園城寺等京畿諸山諸寺を巡って、各宗の奥義を研学すること十余年、つぶさに思索と体験とをつんで知恵のふくらみ、充実するのを待って、三十二歳の三月清澄山に帰った。 かくて智恵と・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 已に半世紀近き以前一種の政治的革命が東叡山の大伽藍を灰燼となしてしまった。それ以来新しくこの都に建設せられた新しい文明は、汽車と電車と製造揚を造った代り、建築と称する大なる国民的芸術を全く滅してしまった。そして一刻一刻、時間の進むごと・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・ また、戦国の世にはすべて武人多くして、出家の僧侶にいたるまでも干戈を事としたるは、叡山・三井寺等の古史に徴して知るべし。社会の公議輿論、すなわち一世の気風は、よく仏門慈善の智識をして、殺人戦闘の悪業をなさしめたるものなり。右はいずれも・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
出典:青空文庫