・・・実朝の近習が、実朝の死と共に出家して山奥に隠れ住んでいるのを訪ねて行って、いろいろと実朝に就いての思い出話を聞くという趣向だ。史実はおもに吾妻鏡に拠った。でたらめばかり書いているんじゃないかと思われてもいけないから、吾妻鏡の本文を少し抜萃し・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・たとえその描写がどんなに史実的に間違っていても、それが上記のような幻想を起しさえすればそれでこの映画は成効しているであろう。 この映画にはうるさいところやしつっこいところがなくてよい。やはり俳諧のわかるフランス人の作品である。 ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」
・・・ 文学の場合でも、たとえば、ある史実を取り扱った戯曲を作るとすれば、作者の個性の差別によって、千差万別ありとあらゆる作品が可能であって、そうして、そのいずれもが傑作でもありうるのである。しかも物理学の場合などとは到底比較にならない多種多・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ 新聞記事の間違いだらけな事はもちろん周知のことであるが、きのうの出来事さえ真実が伝わらぬとすればいわゆる史実と称するものもどこまで信用できるかわからない。ことによると九十パーセントが間違いかもしれない。 いっそのこと、全部間違いば・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・この前の乙亥は明治八年であるが、もしどこかに、乙亥の年に西郷隆盛が何かしたという史実の記録があれば、それは確実に明治八年の出来事であって、昭和十年でもなくまた文化十二年でもないことが明白である。 明治八年とだけでは場合によってはずいぶん・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・、以上引用した若干の例によってもわかるように、わが国の神話が地球物理学的に見てもかなりまでわが国にふさわしい真実を含んだものであるということから考えて、その他の人事的な説話の中にも、案外かなりに多くの史実あるいは史実の影像が包含されているの・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
・・・これも後世のために記録しておくべき史実の一つである。いずれにしても愛嬌があって、そうして何らの害毒を流す恐れのないのみならず、結果においては意外に好果をも結び得る種類の事柄である。これに反してどんなにもっと恐ろしい色々の迷信が今の世に行われ・・・ 寺田寅彦 「千人針」
・・・いわれを聞いてみると、「昔頼朝時代などには鎌倉へんに鶴がたくさんにいて、それに関連した史実などもあったが今日ではもう鶴などは一羽も見られなくなって、世の中が変わってしまった」という感慨を十七字にしたのだそうである。それを私に伝えた日本の理学・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・よって、今日はトンネルがくずれて汽車では通れなくなっているところをも街道を草鞋ばきで目的地へ行きつける場合もあること、しかし汽車があるのにちょんまげつけて歩く方を選ぶという方法の唾棄すべきこと、並に、史実は甚だ重要ではあるが唯一の準拠的なも・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・そしてまた、この長編が極めて緻密に史実を調べられ、思想的背景をさぐられ、人物の配置も客観的にされながら、窮極には作者藤村の内面的なムードで統一されていて、その意味からはやはり主観的な写実を脱していないということも面白い。 人道的な感情で・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
出典:青空文庫