・・・それを詮索するのは興味もあり有益な事でもあるが、それは作と作家の価値を否定する材料にはならなかった。要は資料がどれだけよくこなされているか、不浄なものがどれだけ洗われているかにあった。 作中の典拠を指摘する事が批評家の知識の範囲を示すた・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・“ブルジョア議会”の肯定と否定。“ソビエット”と“自由連合”。労働者側では小野が一人で太刀打ちしている。しかし津田はとにかく三吉が黙っているのは、よくわからぬばかりでなくて、小野の態度が極端なうたぐりと感傷とで、ときにはたわいなくさえみえて・・・ 徳永直 「白い道」
・・・かく口汚く罵るものの先生は何も新しい女権主義を根本から否定しているためではない。婦人参政権の問題なぞもむしろ当然の事としている位である。しかし人間は総じて男女の別なく、いかほど正しい当然な事でも、それをば正当なりと自分からは主張せずに出しゃ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・その方面の知識に疎い寡聞なる余の頭にさえ、この断見を否定すべき材料は充分あると思う。 社会は今まで科学界をただ漫然と暗く眺めていた。そうしてその科学界を組織する学者の研究と発見とに対しては、その比較的価値所か、全く自家の着衣喫飯と交渉の・・・ 夏目漱石 「学者と名誉」
・・・理においてはいかにも当然である、私もそれを否定するだけの自信も有ち得なかった。しかしそれに関らず私は何となく乾燥無味な数学に一生を托する気にもなれなかった。自己の能力を疑いつつも、遂に哲学に定めてしまった。四高の学生時代というのは、私の生涯・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・これは何としても否定することができない。元来食事はただ営養をとる為のものでなく又一種の享楽である。享楽と云うよりは欠くべからざる精神爽快剤である。労働に疲れ種々の患難に包まれて意気銷沈した時には或は小さな歌謡を口吟む、談笑する音楽を聴く観劇・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・著者は、芥川龍之介の敗北の究明とともに、小市民的土壌を自身の生活に否定し、「過渡期の道標」では一歩前進した。「イデェオロギーが情緒感覚の生活にまで泌みわたって、これを支配し変革する」ことがなければプロレタリア文学は真の芸術であり得ないという・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・ 自然主義の小説というものの内容で、人の目に附いたのは、あらゆる因襲が消極的に否定せられて、積極的には何の建設せられる所もない事であった。この思想の方嚮を一口に言えば、懐疑が修行で、虚無が成道である。この方嚮から見ると、少しでも積極的な・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・ もし、彼らにして文学を認めるとすれば、文学に対して最も深き認識者は、コンミニストたらざるを得なくなると云う認識も否定すべきであろう。 かくして、文学に対して最も認識深き者と雖も、コンミニストたらざる場合があるとすれば、この・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・初めは熊沢蕃山が書いたと噂されていたが、蕃山自身はそれを否定し、古くからあったと言っている。惺窩の著と言われ始めたのは、その後である。しかるに他方には『本佐録』あるいは『天下国家の要録』と名づけられた書物があって、内容は右の『五倫書』と一致・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫