・・・温泉芸者を揚げようというのを蝶子はたしなめて、これからの二人の行末のことを考えたら、そんな呑気な気イでいてられへんともっともだったが、勘当といってもすぐ詫びをいれて帰り込む肚の柳吉は、かめへん、かめへん。無断で抱主のところを飛出して来たこと・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・……厭な金の話を耳に入れずに、子供ら相手に暢気に一日を遊んで暮したいと思ってくるのであった。耕吉は弟があの山の中の町から出てきて、まるで別世界へでも来たように感心するのを、おかしがった。「そうかなあ。……しかし僕には昼間はこのとおり静か・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・峻は善良な長い顔の先に短い二本の触覚を持った、そう思えばいかにも神主めいたばったが、女の子に後脚を持たれて身動きのならないままに米をつくその恰好が呑気なものに思い浮かんだ。 女の子が追いかける草のなかを、ばったは二本の脚を伸ばし、日の光・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・「もう美しい夕焼も秋まで見えなくなるな。よく見とかなくちゃ。――僕はこの頃今時分になると情けなくなるんだ。空が奇麗だろう。それにこっちの気持が弾まないと来ている」「呑気なことを言ってるな。さようなら」 行一は毛糸の首巻に顎を埋め・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・瀬戸内にこんな島があって、自分のような男を、ともかくも呑気に過さしてくれるかと思うと、正にこれ夢物語の一章一節、と言いたくなる。 酒を呑んで書くと、少々手がふるえて困る、然し酒を呑まないで書くと心がふるえるかも知れない。「ああ気の弱い男・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 屋内ではぺーチカを焚き、暖気が充ちている。その気はいが、扉の外から既に感じられた。「今晩は。」「どうぞ、いらっしゃい。」 朗らかで張りのある女の声が扉を通してひびいて来た。「まあ、ヨシナガサン! いらっしゃい。」 ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・低く円るく刈り込まれた松の木が、青々とした綺麗な芝生の上に何本も植えられていて、その間の小径の、あちこちに赤い着物が蹲んで、延び過ぎた草を呑気そうに摘んでいた。黒いゲートルを巻いた、ゴム足袋の看守が両手を後にまわして、その側をブラ/\しなが・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・それでも、母が安心していることは、こっちの冬に二十何年も慣れたお前は、キットそこなら呑気にいれるだろうと考えているからだ。前の手紙を見ると、お前はそこで毎朝六時に「冷水摩擦」をやっていると書いていたが、こっちでそんな時間に、そんなことをした・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・「お前はそんな暢気なことを言うが、旦那が亡くなった時に俺はそう思った――俺はもう小山家に縁故の切れたものだと思った――」 おげんは弟の仕事部屋に来て、一緒にこんな話をしたが、直次の家の方へ帰って行く頃は妙に心細かった。今度の上京を機・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・あの頃は私も、随分、呑気なところのある子供でした。世の中も亦、私達を呑気に甘えさせてくれていました。私は、三島に行って小説を書こうと思って居たのでした。三島には高部佐吉さんという、私より二つ年下の青年が酒屋を開いて居たのです。佐吉さんの兄さ・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
出典:青空文庫