・・・右から盾を見るときは右に向って呪い、左から盾を覗くときは左に向って呪い、正面から盾に対う敵には固より正面を見て呪う。ある時は盾の裏にかくるる持主をさえ呪いはせぬかと思わるる程怖しい。頭の毛は春夏秋冬の風に一度に吹かれた様に残りなく逆立ってい・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・見ますとね、先刻の何人でも呪いそうな彼の可怖い眼の方が、隣の列車の窓につかまって泣いてらッしゃるのでした、多くの人目も羞じないで。鋭い声の、あれが泣饒舌と云うのかも知れませんね。『兄さん、貴方は死んで呉れちゃいやですよ。決して死ぬんじゃ・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ 驢馬が頭を下げてると荷物があんまり重過ぎないかと驢馬追いにたずねましたし家の中で赤ん坊があんまり泣いていると疱瘡の呪いを早くしないといけないとお母さんに教えました。 ところがそのころどうも規則の第一条を用いないものができてきました・・・ 宮沢賢治 「毒もみのすきな署長さん」
・・・「おや、呪いをかけたね。僕も引っ込んじゃいないよ。さあ、お前のような、」「一寸お待ちなさい。あなた方は一体何をさっきから喧嘩してるんですか。」新らしい二人の声が一緒にはっきり聞え出す。「オーソクレさん。かまわないで下さい・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・ 女の子は笑って何かかすかに呪いのような歌をやりながらみんなを指図しています。 ペンネンネンネンネン・ネネムはその女の子の顔をじっと見ました。たしかにたしかにそれこそは妹のペンネンネンネンネン・マミミだったのです。ネネムはとうとう堪・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・寿江子のは泰子のように口から舌押えの棒をたてる代りに、おそろしい呪いの言葉を発します。こう書いて今日は笑えるから嬉しいわ。これで私もまた一層のんきになって治れます。私がひっくり返って治るまでに、咲枝やおなかの赤チャン、泰子、国男さん、寿江子・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・この動物の血で塗りかためた、貴様等同族の髪毛の鞭が一ふり毎に億の呪いをふり出すか、兆の狂暴を吐出すか後で判ろう。呪いの鬼子、気違い力の私生児、入れ! 入れ!見てくれ、俺も老いまい? 粉のように飛んで、光のように、人間共にからみつく、あの――・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・青年・壮年のトルストイが、自分の肉体的な力に罪悪を感じたり、自身の官能の鋭さを荷厄介にしたりして、それを刺戟する女性を呪い憎んでいるに対して、同じ年頃のゴーリキイは、何と素朴な初恋を経験していたことであろう。この初恋は、ゴーリキイが「初恋に・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・ 私は自分を呪いました。食事の時ぐらいはなぜ他の者といっしょの気持ちにならなかったのでしょう。なぜ子供に対してまで「自分の内に閉じこもること」を続けたのでしょう。私がすべての人を愛でもって抱きたいと思ったことはほんとうです。それに関係し・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・私は自分の過去を恥じ、呪い、そうして捨てた。できるならば私はそれまでに書いたものをすべて人の記憶から消し去りたいとねがった。もう筆を取る勇気もなかった。私はその時に自己表現の情熱を中断されたように思う。そのころは知人と口をきくことさえも私を・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫