・・・悪い男云々を聴き咎めて蝶子は、何はともあれ、扇子をパチパチさせて突っ立っている柳吉を「この人私の何や」と紹介した。「へい、おこしやす」種吉はそれ以上挨拶が続かず、そわそわしてろくろく顔もよう見なかった。 お辰は娘の顔を見た途端に、浴衣の・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・と、彼も子供の顔を見た刹那に、自分の良心が咎められる気がした。一日二日相手に遊んでいるうち、子供の智力の想ったほどにもなく発達しておらないというようなことも、彼の気持を暗くした。「俺も正式に学校でも出ていて、まじめに勤めをするとか、翻訳・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・ 石田はその路を通ってゆくとき、誰かに咎められはしないかというようなうしろめたさを感じた。なぜなら、その路へは大っぴらに通りすがりの家が窓を開いているのだった。そのなかには肌脱ぎになった人がいたり、柱時計が鳴っていたり、味気ない生活が蚊・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・そこで源三は川から二三間離れた大きな岩のわずかに裂け開けているその間に身を隠して、見咎められまいと潜んでいると、ちょうど前に我が休んだあたりのところへ腰を下して憩んだらしくて、そして話をしているのは全く叔父で、それに応答えをしているのは平生・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・故人成田屋が今の幸四郎、当時の染五郎を連れて釣に出た時、芸道舞台上では指図を仰いでも、勝手にしなせいと突放して教えてくれなかったくせに、舟では染五郎の座りようを咎めて、そんな馬鹿な坐りようがあるかと激しく叱ったということを、幸四郎さんから直・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・尤も、親しげに言葉の取換される様子を見たというまでで、以前家に置いてあった書生が彼女の部屋へ出入したからと言って、咎めようも無かったが……疑えば疑えなくもないようなことは数々あった……彼は鋭い刃物の先で、妻の白い胸を切開いて見たいと思った程・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・ 西鶴を生んだ日本に、西鶴型の科学者の出現を望むのは必ずしも空頼めでないはずであるが、ただそういう型の学者は時にアカデミーの咎めを受けて成敗される危険がないとも限らない。これも、いつの世にも変らない浮世の事実であろう。 余談では・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・ 人から咎められなくても自分でも気が咎めるのは、一度どこかで書いたような事をもう一度別の随筆の中で書かなければ工合の悪いようなはめになった時である。尤もそれ自身では同じ事柄でも前後の関係がちがって来ればその内容もまたちがった意義をもって・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・ お絹からいえば、道太に皆ながつれていってもらうのに、辰之助を差し措くことはその間に何か特別の色がつくようで、気に咎めた。辰之助を除外すれば、色気はないにしても、慾気か何かの意味があって、道太を引きつけておくように、道太の姉たちに思われ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・永代の橋の上で巡査に咎められた結果、散々に悪口をついて捕えられるなら捕えて見ろといいながら四、五人一度に橋の欄干から真逆様になって水中へ飛込み、暫くして四、五間も先きの水面にぽっくり浮み出して、一同わアいと囃し立てた事なぞもあった。・・・ 永井荷風 「夏の町」
出典:青空文庫