・・・、石川啄木の「マカロフ提督追悼の詩」を始め戦争に際しては多くが簇出しているし、また日露戦争中、二葉亭がガルシンの「四日間」を訳出している。「四日間」の戦争の悲惨を憎悪した内容が二葉亭の当時の態度を暗示しているかもしれないが、それらは、若し次・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・二十一で本を書いて、それが石川啄木という大天才の書いた本よりも、もっと上手で、それからまた十何冊だかの本を書いて、としは若いけれども、日本一の詩人、という事になっている。おまけに大学者で、学習院から一高、帝大とすすんで、ドイツ語フランス語、・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・日本の現代文学の中になにかの推進力として価値あるものをもたらした人々は、北村透谷、二葉亭四迷、石川啄木、小林多喜二など、誰一人として「抽象的な情熱」をもって語り、それを宣伝した人はなかった。これらの人々の情熱は彼らの生きた歴史のゆるすぎりぎ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・ 石川啄木の歌が広告に利用してあった。「働けど働けど我生活は楽にはならざり凝っと手を見る」 元○○新聞記者××著「金の廻し方、殖し方」「ほんとう?――でもこんな本の広告に啄木の歌を使う時代なのね」 すると、Yが低い声でそ・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
日常生活の形式等は、出来る丈単純にしているので、今私の心に在るものは、改良したいというより、寧ろ進展したい心持でございます。けれども故石川啄木の歌にひと晩に咲かせてみむと梅の鉢を 火に焙りしが咲かざりしかな・・・ 宮本百合子 「今年改良したき事」
・・・若い娘らしくそれを十分に感じ、くつろいだ、なついた調子で、啄木の歌がすきだというようなことまでお話しした覚えがある。 その晩も、母がそのお座敷で、私が幼い記憶にあるお孝さんと現在の古田中夫人とを結びつけかねている可笑しさを話し、一座の人・・・ 宮本百合子 「白藤」
出典:青空文庫