・・・それは自動車のタイアアに翼のある商標を描いたものだった。僕はこの商標に人工の翼を手よりにした古代の希臘人を思い出した。彼は空中に舞い上った揚句、太陽の光に翼を焼かれ、とうとう海中に溺死していた。マドリッドへ、リオへ、サマルカンドへ、――僕は・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・けれどももう少し注意して御覧になると、どの紙屑の渦の中にも、きっと赤い紙屑が一つある――活動写真の広告だとか、千代紙の切れ端だとか、乃至はまた燐寸の商標だとか、物はいろいろ変ていても、赤い色が見えるのは、いつでも変りがありません。それがまる・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 今は竹の皮づつみにして汽車の窓に売子出でて旅客に鬻ぐ、不思議の商標つけたるが彼の何某屋なり。上品らしく気取りて白餡小さくしたるものは何の風情もなし、すきとしたる黒餡の餅、形も大に趣あるなり。 夏の水 松任より柏・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・にわに打ちこまれて俊雄は縮み上り誠恐誠惶詞なきを同伴の男が助け上げ今日観た芝居咄を座興とするに俊雄も少々の応答えが出来夜深くならぬ間と心むずつけども同伴の男が容易に立つ気色なければ大吉が三十年来これを商標と磨いたる額の瓶のごとく輝るを気にし・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・あの銀座の有名な化粧品店の、蔓バラ模様の商標は、あの人が考案したもので、それだけでは無く、あの化粧品店から売り出されている香水、石鹸、おしろいなどのレッテル意匠、それから新聞の広告も、ほとんど、あの人の図案だったのでございます。十年もまえか・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・「襟に商標が押してございまして、それがロシアの商店ので。」 おれは椅子から立ち上がった。「もういいもういい。そこで幾ら立て替えておいてくれたのかい。」「六百マルクでございます。秘密警察署の方は官吏でございますから、報酬は取り・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・という商標のマッチを、五つばかり受け取っていました。ネネムは何をするのかと思ってもっと見ていますと、そのいやなものはマッチを持ってよちよち歩き出しました。 赤山のようなばけものの見物は、わいわいそれについて行きます。一人の若いばけものが・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・おのれの第一歩的な着眼に固執して、千たび万たび、その角度からだけものをいい、またはその着眼のために理論の全体的な把握を失うような習癖に陥り、それがやがてジャーナリズムにおけるその人の商標となったりしては、理論家としての成長はまったくすたれて・・・ 宮本百合子 「両輪」
出典:青空文庫