・・・翅も脚もことごとく、香の高い花粉にまぶされながら、………… 雌蜘蛛はじっと身じろぎもせず、静に蜂の血を啜り始めた。 恥を知らない太陽の光は、再び薔薇に返って来た真昼の寂寞を切り開いて、この殺戮と掠奪とに勝ち誇っている蜘蛛の姿を照らし・・・ 芥川竜之介 「女」
「――黄大癡といえば、大癡の秋山図をご覧になったことがありますか?」 ある秋の夜、甌香閣を訪ねた王石谷は、主人のうんなんでんと茶を啜りながら、話のついでにこんな問を発した。「いや、見たことはありません。あなたはご覧に・・・ 芥川竜之介 「秋山図」
・・・僕は一杯のココアを啜り、ふだんのように巻煙草をふかし出した。巻煙草の煙は薔薇色の壁へかすかに青い煙を立ちのぼらせて行った。この優しい色の調和もやはり僕には愉快だった。けれども僕は暫らくの後、僕の左の壁にかけたナポレオンの肖像画を見つけ、そろ・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・だから先生は夜毎に英語を教えると云うその興味に促されて、わざわざ独りこのカッフェへ一杯の珈琲を啜りに来る。勿論それはあの給仕頭などに、暇つぶしを以て目さるべき悠長な性質のものではない。まして昔、自分たちが、先生の誠意を疑って、生活のためと嘲・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ 女達は、もう鼻啜りをしながら、それじゃアとて立ちあがる。水を持ち、線香を持ち、庭の花を沢山に採る。小田巻草千日草天竺牡丹と各々手にとり別けて出かける。柿の木の下から背戸へ抜け槇屏の裏門を出ると松林である。桃畑梨畑の間をゆくと僅の田があ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・、落着いた、ややこしい情緒をみると、私は現代の目まぐるしい猥雑さに魂の拠り所を失ったこれ等の若いインテリ達が、たとえ一時的にしろ、ここを魂の安息所として何もかも忘れて、舌の焼けそうな、熱い白味噌の汁に啜りついているのではないかと思った。更に・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・碁盤の目の敷畳に腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜りながら柳吉は言った。「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・すると源三は何を感じたか滝のごとくに涙を墜して、ついには啜り泣して止まなかったが、泣いて泣いて泣き尽した果に竜鍾と立上って、背中に付けていた大な団飯を抛り捨ててしまって、吾家を指して立帰った。そして自分の出来るだけ忠実に働いて、叔父が我が挙・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・と私は、少年をてれさせないように努めて淡泊の返事をして、また、ゆっくりと番茶を啜り、少年の事になど全く無関心であるかのように池の向うの森ばかりを眺めていた。あの森の中には、動物園が在る。きあっと、裂帛の悲鳴が聞えた。「孔雀だよ。いま鳴い・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・私は、熱いミルクを啜りながら、「よろこぶことも、そのひとの自由だ。」「ところが、私、自由じゃない。両方とも。」 私は深い溜息をつく。「K、うしろに五、六人、男がいるね。どれがいい?」 つとめ人らしい若いのが四人、麻雀をしてい・・・ 太宰治 「秋風記」
出典:青空文庫