・・・私の恋の相手というのは逢うのに少しばかり金のかかるたちの女であったから、私は金のないときには、その甘酒屋の縁台に腰をおろし、一杯の甘酒をゆるゆると啜り乍らその菊という女の子を私の恋の相手の代理として眺めて我慢していたものであった。ことしの早・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・次男は、ものも言わず、猛烈な勢いで粥を啜り、憤然と梅干を頬張り、食慾は十分に旺盛のようである。「さとは、どう思うかねえ。」半熟卵を割りながら、ふいと言い出した。「たとえば、だね、僕がお前と結婚したら、お前は、どんな気がすると思うかね。」・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・しかしその時には自分を始め誰一人霊廟を訪おうというものはなく、桜餅に渋茶を啜りながらの会話は如何にすれば、紅葉派全盛の文壇に対抗することが出来るだろうか。最少し具体的にいえばどうしたら『新小説』と『文芸倶楽部』の編輯者がわれわれの原稿を買う・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・シワルドもフラーと叫んで血の如き酒を啜りながら尻目にウィリアムを見る。ウィリアムは独り立って吾室に帰りて、人の入らぬ様に内側から締りをした。 盾だ愈盾だとウィリアムは叫びながら室の中をあちらこちらと歩む。盾は依然として壁に懸っている。ゴ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・お前はそれ等の血と肉とを、バケット・コンベヤーで、運び上げ、啜り啖い、轢殺車は地響き立てながら地上を席捲する。 かくて、地上には無限に肥った一人の成人と、蒼空まで聳える轢殺車一台とが残るのか。 そうだろうか! そうだとするとお前・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・多くの女達は冷たい幼児の手を取って自分の頬にすりつけながら声をあげて泣いて居る。啜り泣きの声と吐息の満ちた中に私は只化石した様に立って居る。「何か奇蹟が表われる事だろう。 残されて歎く両親のため同胞のために。 奇蹟も表わ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 草の葉のかげから弱々しい啜りなきの声はいつまでたってもやまなかった。 その日っきり仙二はそと出のきらいな人になったけれ共、月のきれいな時にはきっとわすれられない堤に座って夢の様にあわく美くしい思い出をたどった。 グースベリー・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・冷たい茶を啜り、自分はなお弁当をたべつづけた。―― 三 メーデーの後、自分に対する襲撃の焦点が急に変って来た。もう「コップ」のことは問題でなく、今は党へ金を出している、それを云えというのである。自分にそのような・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・ 薔薇液を身に浴び、華奢な寛衣をまとい、寝起きの珈琲を啜りながら、跪拝するバガボンドに流眄をする女は、決して、その情調を一個の芸術家として味って居るのではございません。 こちらの婦人の華美と、果を知らぬ奢沢は、美そのものに憧れるので・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ そうしてだまって居るうちに、咲はいつの間にか啜り泣きを始めて居た。「どうしたの。」「何だか悲しくなって参ったんでございますの、 いろんな事を考えるもんでございますから。」 千世子はだまって小ぢんまりした束髪に結って年に・・・ 宮本百合子 「蛋白石」
出典:青空文庫