・・・よく下民の聚合する寄席などへ参ると、時々妙な所で喝采する事があります。普通の人が眉を顰める所に限って喝采するから妙であります。ゾラ君なども日本へ来て寄席へでも出られたら、定めし大入を取られる事であろうと存じます。 現代文学は皆この弊に陥・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・そのもったいぶるところを見物がわっと喝采するのである。が、常識から判断すれば誰にでも考えつく事で、誰にでもやれる事で、やったってしようのない事である。だからもったいぶり方はいくら芸術的にうまくできたって、うまくできればできるほどおかしくする・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
・・・どこでも見物は熱狂し、割れるように喝采した。そして舞台の支那兵たちに、蜜柑や南京豆の皮を投げつけた。可憫そうなチャンチャン坊主は、故意に道化けて見物の投げた豆を拾い、猿芝居のように食ったりした。それがまた可笑しく、一層チャンチャン坊主の憐れ・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・かつ所作の活溌にして生気あるはこの遊技の特色なり、観者をして覚えず喝采せしむる事多し。但しこの遊びは遊技者に取りても傍観者に取りても多少の危険を免れず。傍観者は攫者の左右または後方にあるを好しとす。 ベースボールいまだかつて訳語あら・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・は四年間、オランダ、スイス、オーストリヤ、チェコ、ベルギー等を巡業し、いたるところで喝采をえた。小粒ながらも胡椒のきいたその移動演劇は、ナチスにとっては小柄な蜂のように邪魔であった。エリカは、舞台のうえにいていくたびか狙撃された。が、無事に・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・どっという笑声や喝采。あとから、あとから。ちゃんと門が開き切った時分には、恐らく誰一人往来に立って待ってはいないだろう。 入ってしまえばもう安心し、砂利の上で肱を張り張り歩いて左の方に行く。―― 女の下駄箱は正面の左手にあり、男のは・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・ せり上り活人形大喝采一の谷はふたば軍記! 店々で呼び合う声と広告旗、絵看板、楽隊の響で、せまい団子坂はさわぎと菊の花でつまった煙突のようだった。白と黒の市松模様の油障子を天井にして、色とりどりの菊の花の着物をきせられた活人形が、芳しくしめ・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・群集の誤解を恐れてはならない。そして誤解を解くための焦燥などは絶対にしてはいけない。たやすく群集に理解されることは危険である。群集の喝采は必ずしも作者の勝利を示しはしない。虚偽と阿諛に充ちた作品をさえ喜ぶ人々の喝采は、恐らく不愉快なものだろ・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・深い愛をかつて体験したこともないくせに愛を冷笑することを喜び、教権の圧力をかつて感じたこともないくせに神の死を喝采した。それは当時の予にとって人間生活の最高の階段であった。そうしてかくのごとき気分と思想とが漸次近代偶像破壊者の模倣に堕して行・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・生の意義への焦燥と見えたのは、虚名と喝采とへの焦燥に過ぎなかった。勇ましい戦士と見えたのは、強剛な意志を欠く所に生ずるだだッ児らしいわがままのゆえに過ぎなかった。私はその時までその臭気に気づかないでいた自分を呪った。道徳的には潔癖であるとさ・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫