・・・あらゆる多くの人々の、あらゆる嘲笑の前に立って、私は今もなお固く心に信じている。あの裏日本の伝説が口碑している特殊な部落。猫の精霊ばかりの住んでる町が、確かに宇宙の或る何所かに、必らず実在しているにちがいないということを。・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 片岡氏は、当時のブルジョア道徳が逆宣伝的に、階級闘争に従う前衛のはなはだしく困難な生活の中に、不可避的に起ったさまざまの恋愛錯雑を嘲笑したのに対し、抗議としてこの小説を書かれた。そのことは、同じ小説の中の文句でもはっきり宣言せられてい・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・にからんで国内をつよくひろい幅で流れまわったこのたびのアメリカ大統領選挙の予測の方向につりこまれて、複雑な現実がひきおこす誤差に思いも及ばず、一二の雑誌がみっともなかったとしても、その現象をいたずらに嘲笑することはできない。はい、という言葉・・・ 宮本百合子 「現代史の蝶つがい」
・・・右からは古いインテリゲンツィアの残りに、嘲笑された。「ソヴェトになってから、いい芸術的作品なんぞ一つも出来ようはずがありませんよ。第一、今の作家はロシア語そのものの美しささえ知らないじゃないですか!」 不安な、ソヴェト文学の無風状態・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ かれはその食事をも終わることができなく、嘲笑一時に起こりし間を立ち去った。 かれは恥じて怒って呼吸もふさがらんばかりに痛憤して、気も心もかきむしられて家に帰った。元来を言えばかれは狡猾なるノルマン地方の人であるから人々がかれを詰っ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・細い目のちょいと下がった目尻に、嘲笑的な微笑を湛えて、幅広く広げた口を囲むように、左右の頬に大きい括弧に似た、深い皺を寄せている。 綾小路はまだ饒舌る。「そんなに僕の顔ばかし見給うな。心中大いに僕を軽侮しているのだろう。好いじゃないか。・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・そして、安次を最も残忍な方法で放逐して了ったならば、彼は秋三の嘲笑を一瞬にして見返すことが出来るように思われた。七 安次は股引の紐を結びながら裏口へ出て来ると、水溜の傍の台石に腰を下ろした。彼は遠い物音を聞くように少し首を延・・・ 横光利一 「南北」
・・・人および物に対する同情と理解との欠乏は、自分の心の全面に嘲笑と憤怒とを漲らしめた。人に頼ることを恥じるとともに、人に活らき掛けることをも好まなかった。孤立が誇りであった。友情は愛ではなくてただ退屈しのぎの交際であった。関係はただ自分の興味を・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・彼は自己の醜さを嘲笑する。しかし醜さを焼き滅ぼそうとする熱欲があるからではない。彼は他人の弱所を突いて喜ぶ。しかし悪を憎む道徳的疳癪からではない。 ――ここまで考えて来ると、ふと私は一つの危険を感じ出した。彼らの現わす傾向については、た・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・宗教の信仰に救われて全能者の存在を霊妙の間に意識し断乎たる歩武を進めて Im schnen, Im guten, Im ganzen, に生くべく猛進するわが理想であると言ったら、ある人は嘲笑した。我れに取っては最も明白合理なる信念である。・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫