・・・庭下駄を穿いて、日影の霜を踏み砕いて、近づいて見ると、公札の表には、この土手登るべからずとあった。筆子の手蹟である。 午後三重吉から返事が来た。文鳥は可愛想な事を致しましたとあるばかりで家人が悪いとも残酷だともいっこう書いてなかった。・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・あの松は自分が土手から引て来て爰処へ植えたのだから、これも二十二、三年位になるだろう。あの松の下に蘭があって、その横にサフランがあって、その後ろに石があって、その横に白丁があって、すこし置いて椿があって、その横に大きな木犀があって、その横に・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・ところが東京の近辺ではこれを採るものが極めて少ないためでもあるか、赤羽の土手には十間ほどの間にとても採り尽せないほどの土筆が林立して居ったそうな。妹が帰ったのはまだ日の高いうちであったが、大きな布呂敷に溢れるほどの土筆は、わが目の前に出し広・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。 その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵があがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・そしてどれも、低い幅のせまい土手でくぎられ、人は馬を使ってそれを掘り起こしたりかき回したりしてはたらいていました。 ブドリがその間を、しばらく歩いて行きますと、道のまん中に二人の人が、大声で何かけんかでもするように言い合っていました。右・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・それらは、もとより学習院の土手を越した。同時に、いまの日本に急速にひろがりつつある不健全な時代錯誤、特権生活への架空な憧れと嫉妬のまじりあったような風潮も、青春の敏感な自意識をむしばみつつある。卑俗な風俗小説のほとんどすべてが、読者の好奇を・・・ 宮本百合子 「日本の青春」
・・・のようなもので、「そういう河になるとなるたけ流れが変らないようにしようと思って、高い土手を築いたり、コンクリートの堤防を造ったりするけれど、そんなにしたってそれが流れに逆ったものならいつか大きな洪水が来て、きっと堤を切ったり、コンクリートの・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・向河岸の方を見ると、水蒸気に飽いた、灰色の空気が、橋場の人家の輪廓をぼかしていた。土手下から水際まで、狭い一本道の附いている処へ、かわるがわる舟を寄せて、先ず履物を陸へ揚げた。どの舟もどの舟も、載せられるだけ大勢の人を載せて来たので、お酌の・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・翌年七十一で旧藩の桜田邸に移り、七十三のときまた土手三番町に移った。 仲平の亡くなったのは、七十八の年の九月二十三日である。謙助と淑子との間に出来た、十歳の孫千菊が家を継いだ。千菊の夭折したあとは小太郎の二男三郎が立てた。大正三年四・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・あの門外でながめられるお濠の土手はかなりに高い。しかしそれは穏やかな、またなだらかな形の土手であって、必ずしも偉大さ力強さを印象するものではなかった。しかるに今この門外に立って見ると、大正昭和の日本を記念する巨大な議事堂が丘の上から見おろし・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫