・・・ おやおや、会場は近かった。土橋寄りだ、と思うが、あの華やかな銀座の裏を返して、黒幕を落したように、バッタリ寂しい。……大きな建物ばかり、四方に聳立した中にこの仄白いのが、四角に暗夜を抽いた、どの窓にも光は見えず、靄の曇りで陰々としてい・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・その、すぼんだ処に、土橋が一つ架っているわい。――それそれ、この見当じゃ。」 と、引立てるように、片手で杖を上げて、釣竿を撓めるがごとく松の梢をさした。「じゃがの。」 と頭を緩く横に掉って、「それをば渡ってはなりませぬぞ。…・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ 足の運びにつれて目に映じて心に往来するものは、土橋でなく、流でなく、遠方の森でなく、工場の煙突でなく、路傍の藪でなく、寺の屋根でもなく、影でなく、日南でなく、土の凸凹でもなく、かえって法廷を進退する公事訴訟人の風采、俤、伏目に我を仰ぎ・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 浜の方へ五六間進むと、土橋が一架、並の小さなのだけれども、滑川に架ったのだの、長谷の行合橋だのと、おなじ名に聞えた乱橋というのである。 この上で又た立停って前途を見ながら、由井ヶ浜までは、未だ三町ばかりあると、つくづく然う考えた。・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・「岩と岩に、土橋が架かりまして、向うに槐の大きいのが枯れて立ちます。それが危なかしく、水で揺れるように月影に見えました時、ジイと、私の持ちました提灯の蝋燭が煮えまして、ぼんやり灯を引きます。(暗くなると、巴が一つになって、人魂の黒いのが・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ほめられて見ると、なるほどちょっとおもしろくその丹ぬりの色の古ぼけ加減が思われる。土橋から少し離れて馬頭観音が有り無しの陽炎の中に立っている、里の子のわざくれだろう、蓮華草の小束がそこに抛り出されている。いいという。なるはど悪くはない。今は・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・ 大きな石の砂に埋っている土橋の畔あたりへ高瀬が出た頃は、雨が彼の顔へ来た。貧しい家の軒下には、茶色な――茶色なというよりは灰色な荒い髪の娘が立って、ションボリと往来の方を眺めていた。高瀬は途を急ごうともせず、顔へ来る雨を寧ろ楽みながら・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・小さい並木路を下るときには、振り仰いで新緑の枝々を眺め、まあ、と小さい叫びを挙げてみて、土橋を渡るときには、しばらく小川をのぞいて、水鏡に顔をうつして、ワンワンと、犬の真似して吠えてみたり、遠くの畠を見るときは、目を小さくして、うっとりした・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ 踏んばって二度目に腰を切ると、天秤がギシリ――としなって、やがて善ニョムさんは腰で調子をとりながら、家の土橋を渡って野良へ出た。 三 榛の木畑は、榛の木並樹の土堤下に沿うた段々畑であった。 土堤の尽きるはる・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・車前草おい重りたる細径を下りゆきて、土橋ある処に至る。これ魚栖めりという流なり。苔を被ぶりたる大石乱立したる間を、水は潜りぬけて流れおつ。足いと長き蜘蛛、ぬれたる巌の間をわたれり、日暮るる頃まで岩に腰かけて休い、携えたりし文など読む。夕餉の・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫