・・・Yの父が死んだ時、友人同士が各自に一円ずつの香奠を送るというのも面倒だから、連名にして送ろうではないかという相談になってその時Kが「小田も入れといてやろうじゃないか、斯ういう場合なんだからね、小田も可愛相だよ」斯う云って、彼の名をも書き加え・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・一つの曲目が終わって皆が拍手をするとき私は癖で大抵の場合じっとしているのだったが、この夜はことに強いられたように凝然としていた。するとどよめきに沸き返りまたすーっと収まってゆく場内の推移が、なにか一つの長い音楽のなかで起ることのように私の心・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
・・・き田道をたどりしやも知れねど吉次がこのごろの胸はそれどころにあらず、軍夫となりてかの地に渡り一かせぎ大きくもうけて帰り、同じ油を売るならば資本をおろして一構えの店を出したき心願、少し偏屈な男ゆえかかる場合に相談相手とするほどの友だちもなく、・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・この闘いは今日の場合では大概は容易ならぬ苦闘だからだ。しかしこれは協同する真心というので、必ずしも働く腕、才能をさすのではない。妻が必ず職業婦人になって、夫の収入に加えねばならぬというのではない。働く腕、金をとる才能のあることがかえって夫婦・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・こういう場合、嫌疑が、すぐ自分にかゝって来ることを彼は即座に、ピリッと感じた。「おかしなことになったぞ。」彼は云った。「この札は、栗島という一等看護卒が出したやつなんだ。俺れゃちゃんと覚えとる。五円札を出したんは、あいつだけなんだから、・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・と打解けて同情し、場合によったら助言でも助勢でもしてやろうという様子だ。「イヤ割が悪いどころでは無い、熔金を入れるその時に勝負が着くのだからネ。機嫌が甚く悪いように見えたのは、どういうものだか、帰りの道で、吾家が見えるようになってフ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・俺の場合、それは運動不足からくるむくみでも何んでもなく、はじめて身体が当り前にかえって行くこの上もない健康からだった。 俺だちの仲間は、今でも刑務所へ行くことを「別荘行」と云っている。ドンな場合でも決して屈することのないプロレタリアの剛・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ような方がいいのだよと彼を抑えこれを揚ぐる画策縦横大英雄も善知識も煎じ詰めれば女あっての後なりこれを聞いてアラ姉さんとお定まりのように打ち消す小春よりも俊雄はぽッと顔赧らめ男らしくなき薄紅葉とかようの場合に小説家が紅葉の恩沢に浴するそれ幾ば・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・そういう場合に、私のところへ来て太郎を弁護するのは、いつでも婆やだった。 しかし、私は子供をしかって置いては、いつでもあとで悔いた。自分ながら、自分の声とも思えないような声の出るにあきれた。私はひとりでくちびるをかんで、仕事もろくろく手・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・単身の場合はまだよいが、同じ自己でも、妻と拡がり子と拡がった場合には、いよいよそれが心苦しくなる。つまり名といい、利といい、身といい、家という、無形、有形、単純、複雑の別はあっても、詮ずるところ自己の生という中心意義を離れては、道徳も最後の・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
出典:青空文庫