・・・達雄は飯を食うために、浅草のある活動写真館のピアノを弾いているのですから。 主筆 それは少し殺風景ですね。 保吉 殺風景でも仕かたはありません。達雄は場末のカフェのテエブルに妙子の手紙の封を切るのです。窓の外の空は雨になっている。達・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・ 僕は早速彼と一しょに亀井戸に近い場末の町へ行った。彼の妹の縁づいた先は存外見つけるのに暇どらなかった。それは床屋の裏になった棟割り長屋の一軒だった。主人は近所の工場か何かへ勤めに行った留守だったと見え、造作の悪い家の中には赤児に乳房を・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・わたしはある友だちと一しょにある場末のカッフェらしい硝子戸の中へはいって行った。そのまた埃じみた硝子戸の外はちょうど柳の新芽をふいた汽車の踏み切りになっていた。わたしたちは隅のテエブルに坐り、何か椀に入れた料理を食った。が、食ってしまって見・・・ 芥川竜之介 「夢」
・・・ 世間は、春風に大きく暖く吹かるる中を、一人陰になって霜げながら、貧しい場末の町端から、山裾の浅い谿に、小流の畝々と、次第高に、何ヶ寺も皆日蓮宗の寺が続いて、天満宮、清正公、弁財天、鬼子母神、七面大明神、妙見宮、寺々に祭った神仏を、日課・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ と手の甲で唇をたたきながら、「場末の……いまの、ルンならいいけど、足の生えた、ぱんぺんさ。先生、それも、お前さん、いささかどうでしょう、ぷんと来た処をふり売りの途中、下の辻で、木戸かしら、入口の看板を見ましてね、あれさ、お前さん、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・色紙、短冊でも並びそうな、おさらいや場末の寄席気分とは、さすが品の違った座をすすめてくれたが、裾模様、背広連が、多くその席を占めて、切髪の後室も二人ばかり、白襟で控えて、金泥、銀地の舞扇まで開いている。 われら式、……いや、もうここで結・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・……毎年顔も店も馴染の連中、場末から出る際商人。丹波鬼灯、海酸漿は手水鉢の傍、大きな百日紅の樹の下に風船屋などと、よき所に陣を敷いたが、鳥居外のは、気まぐれに山から出て来た、もの売で。―― 売るのは果もの類。桃は遅い。小さな梨、粒林檎、・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・軽焼の後身の風船霰でさえこの頃は忘られてるので、場末の駄菓子屋にだって滅多に軽焼を見掛けない。が、昔は江戸の名物の一つとして頗る賞翫されたものだ。 軽焼は本と南蛮渡りらしい。通称丸山軽焼と呼んでるのは初めは長崎の丸山の名物であったのが後・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・一時は猫も杓子も有頂天になって、場末のカフェでさえが蓄音機のフォックストロットで夏の夕べを踊り抜き、ダンスの心得のないものは文化人らしくなかった。 が、四十年前のいわゆる鹿鳴館時代のダンス熱はこれどころじゃなかった。尤も今ほど一般的では・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・だんだんゆくにつれて場末になるとみえて、町の中はさびしく、人通りも少なく、暗くなってきました。けれどもまだ宵のうちで、どこの家も起きています。 やっと二人は、その町はずれに突きあたりました。それから左に曲がりました。なるほど、おばあさん・・・ 小川未明 「海ほおずき」
出典:青空文庫