・・・ 後談 寛文十一年の正月、雲州松江祥光院の墓所には、四基の石塔が建てられた。施主は緊く秘したと見えて、誰も知っているものはなかった。が、その石塔が建った時、二人の僧形が紅梅の枝を提げて、朝早く祥光院の門をくぐった。・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・ この寺の墓所に、京の友禅とか、江戸の俳優某とか、墓があるよし、人伝に聞いたので、それを捜すともなしに、卵塔の中へ入った。 墓は皆暗かった、土地は高いのに、じめじめと、落葉も払わず、苔は萍のようであった。 ふと、生垣を覗いた明い・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・……墓所は日陰である。苔に惑い、露に辷って、樹島がやや慌しかったのは、余り身軽に和尚どのが、すぐに先へ立って出られたので、十八九年不沙汰した、塔婆の中の草径を、志す石碑に迷ったからであった。 紫袱紗の輪鉦を片手に、「誰方の墓であらっ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・……で、おも屋に引返したあとを、お町がいう処の、墓所の白張のような提灯を枝にかけて、しばらく待った。その薄い灯で、今度は、蕈が化けた状で、帽子を仰向けに踞んでいて待つ。 やがて、出て来た時、お藻代は薄化粧をして、長襦袢を着換えていた。・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 墓所は直近いのに、面影を遥かに偲んで、母親を想うか、お米は恍惚して云った。 ――聞くとともに、辻町は、その壮年を三四年、相州逗子に過ごした時、新婚の渠の妻女の、病厄のためにまさに絶えなんとした生命を、医療もそれよ。まさしく観世音の・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・昔のわが家の油絵はどうなったか、それを聞き出す唯一の手がかりはもう六年前になくなった母とともに郷里の久万山の墓所の赤土の中にうずもれてしまっているのであった。 その後おりおり神保町の夜店をひやかすようなときは、それとなく気をつけているが・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
出典:青空文庫