・・・ただ下宿の時分より面倒が殖えるばかりだ」と深くも考えずに浮気の不平だけを発表して相手の気色を窺う。向うが少しでも同意したら、すぐ不平の後陣を繰り出すつもりである。「なるほど真理はその辺にあるかも知れん。下宿を続けている僕と、新たに一戸を・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・「天気の時より病人が増えるだろう」と自分も気のなさそうに返事をした。 Yは停車場前で買った新聞に読み耽ったまま一口も物を云わなかった。雨はいつの間にか強くなって、窓硝子に、砕けた露の球のようなものが見え始めた。自分は閑静な車輛のなか・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・こうすれば雑誌の編輯者とか購買者とかにはまるで影響を及ぼさずに、ただ雑誌を飾る作家だけが寛容ぐ利益のある事だから、一雑誌に載る小説の数がむやみに殖える気遣はない。尤も自分で書いて自分で雑誌を出す道楽な文士は多少増かも知れないが、それは実施の・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・それが見る間に殖える。殖えた火の粉は烟諸共風に捲かれて大空に舞い上る。城を蔽う天の一部が櫓を中心として大なる赤き円を描いて、その円は不規則に海の方へと動いて行く。火の粉を梨地に点じた蒔絵の、瞬時の断間もなく或は消え或は輝きて、動いて行く円の・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・元来墓地には制限を置かねばならぬというのが我輩の持論だが、今日のように人口が繁殖して来る際に墓地の如き不生産的地所が殖えるというのは厄介極まる話だ。何も墓地を広くしないからッて死者に対する礼を欠くという訳はない。華族が一人死ぬると長屋の十軒・・・ 正岡子規 「墓」
・・・減るどころか事によると少し増えるかも知れません。ですから大丈夫戦争も起らなければ無期徒刑をご心配して下さらなくても大丈夫です。却って菜食はみんなの心を平和にし互に正しく愛し合うことができるのです。多くの宗教で肉食を禁ずることが大切の儀式には・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・払っても払っても元金は殖えるばかりだ。それはとにかく私は又この前のお方に百四十年前に非常な貸しがあるのでそれをもとでに毎日この人について歩いて実は五十円ずつとっているのだ。マッチの罪とかなんとか一向私はしらない。」と云いながら自分の前の青い・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・それに対して女が遺憾に思う気持と、男が遺憾に思っている気持とを互に知りあい信じあうこと、そして遺憾のない人間の生き方が、一つでも殖える可能のある社会条件を自分たちの一生のうちにつくってゆこうとする協力、人間は歴史的な存在であるから、私たちの・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・ 一人口が殖えると、又なかなかだねえ。 それにしても、あんまり早すぎるじゃあないかい。と、いやあな顔をして云ったのが、今でもお君の眼先にチラツイて、それを思い出す度んびに、何とも云えない気持になって涙がこぼれた。 冷え込・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ ひっくるめて、一人ずつ児童頭割の教育予算がどの位殖えるか見よう。児童一人宛教育年支出予算 一九二八年 二七・〇 一九三三年 五八・三 ところで、小学校における児童の就学率をよくするためには、学齢以前の教育文・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
出典:青空文庫