・・・この様を見たる喜左衛門は一時の怒に我を忘れ、この野郎、何をしやがったと罵りけるが、たちまち御前なりしに心づき、冷汗背を沾すと共に、蹲踞してお手打ちを待ち居りしに、上様には大きに笑わせられ、予の誤じゃ、ゆるせと御意あり。なお喜左衛門の忠直なる・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・頸細くして腹大きに脹れ、色黒うして足手細し。人にして人に非ず。」と云うのですが、これも大抵は作り事です。殊に頸が細かったの、腹が脹れていたのと云うのは、地獄変の画からでも思いついたのでしょう。つまり鬼界が島と云う所から、餓鬼の形容を使ったの・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・「君の神経のせいじゃないか。まさかあの婆も、僕の所までは手を出しゃしなかろう。」「だって君は今も自分でそう云ったじゃないか。僕の体のまわりにゃ、抜け目なくあの婆が網を張っているからって。」「大きにそうだっけ。だがまさか――まさかその麦酒のコ・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・「へい、大きに――」 まったくどうものんびりとしたものだ。私は何かの道中記の挿絵に、土手の薄に野茨の実がこぼれた中に、折敷に栗を塩尻に積んで三つばかり。細竹に筒をさして、四もんと、四つ、銭の形を描き入れて、傍に草鞋まで並べた、山路の・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・ と雑所大きに急いて、「何だ、それは。胸へ人という字を書いたのは。」とかかる折から、自分で考えるのがまだるこしそうであった。「へい、まあ、ちょいとした処、早いが可うございます。ここへ、人と書いて御覧じゃりまし。」 風の、その・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・「成程、大きに。――しかもその実、お前さんと……むかしの蓮池を見に、寄道をしたんだっけ。」 と、外套は、洋杖も持たない腕を組んだ。 話の中には――この男が外套を脱ぐ必要もなさそうだから、いけぞんざいだけれども、懇意ずく、御免をこ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・が、大きに照れた風が見える。 斜違にこれを視めて、前歯の金をニヤニヤと笑ったのは、総髪の大きな頭に、黒の中山高を堅く嵌めた、色の赤い、額に畝々と筋のある、頬骨の高い、大顔の役人風。迫った太い眉に、大い眼鏡で、胡麻塩髯を貯えた、頤の尖った・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・「そんなことのないようにするのが」と、お袋は僕に向った、「芸者のつとめじゃアございませんか?」「大きにそうです、ね」僕はこう答えたが、心では、「芸者どころか、女郎や地獄の腕前もない奴だ」と、卑しんでいた。「あたいばかり責めたッて・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「そうかなあ、酒呑みは気をつけることだ。そのくせ俺は湯が好きでね」「そうね。金さんは元から熱湯好きだったね。だけど、酔ってる時だけは気をおつけよ、人事じゃないんだよ」「大きに! まだどうも死ぬにゃ早いからな」「当り前さ、今か・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・と言いさま直ぐ起ち上って、「大きにお邪魔をした」とばかり、店を出た。 大友の心にはこの二三年前来、どうか此世に於て今一度、お正さんに会いたいものだという一念が蟠っていたのである、この女のことを思うと、悲しい、懐しい情感に堪え得ないことが・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
出典:青空文庫