・・・私は彼らのたべるのをただ見ていた。大仏通りの方でF氏と別れて、しめっぽい五月の闇の中を、三人は柔かい芝生を踏みながら帰ってきた。ブランコや遊動円木などのあるところへ出た。「あたし乗ってみようかしら? 夜だからかまやしないことよ……」と浪子夫・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・が、この男はまだ芸術家になりきらぬ中、香具師一流の望に任せて、安直に素張らしい大仏を造ったことがある。それも製作技術の智慧からではあるが、丸太を組み、割竹を編み、紙を貼り、色を傅けて、インチキ大仏のその眼の孔から安房上総まで見ゆるほどなのを・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・一週間映写されたきりでおそらくまず二度とは見られる気づかいのないような映画を批評するのなら、何を言っておいてもあとに証拠が残らないからいいが、金銅の大仏などについてうっかりでたらめな批評でも書いておいて、そうして運悪くこの批評が反古にならず・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・そうした例としては『諸国咄』中の水泳の達人の話、蚤虱の曲芸の話、また「力なしの大仏」の色々の条項を挙げることが出来る。『桜陰比事』の「四つ五器かさねての御意」などもそうした例であると同時に、西鶴の実証主義を暗示するものと見られる。 彼の・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・精養軒のボーイ達が大きな桜の根元に寄集まっていた。大仏の首の落ちた事は後で知ったがその時は少しも気が付かなかった。池の方へ下りる坂脇の稲荷の鳥居も、柱が立って桁が落ち砕けていた。坂を下りて見ると不忍弁天の社務所が池の方へのめるように倒れかか・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・下女は更に向うを指して、大仏のお堂の後ろのおそこの処へ来て夜は鹿が鳴きますからよく聞こえます、という事であった。〔『ホトトギス』第四巻第七号 明治34・4・25 二〕 正岡子規 「くだもの」
・・・身分不相応な大熊手を買うて見た処で、いざ鎌倉という時に宝船の中から鼠の糞は落ちようと金が湧いて出る気遣はなしさ、まさか大仏の簪にもならぬものを屑屋だって心よくは買うまい。…………やがて次の熊手が来た。今度は二人乗のよぼよぼ車に窮屈そうに二人・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
今日、山本有三氏の読者というものは、随分ひろい社会の各層に存在していることであろうと思う。 大仏次郎氏などの作品も、吉屋信子氏が読まれるとは別のところに多くの読者をもっていることでは、山本有三氏と同様であろうが、作者と・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
出典:青空文庫