・・・粟粒芥顆のうちに蒼天もある、大地もある。一世師に問うて云う、分子は箸でつまめるものですかと。分子はしばらく措く。天下は箸の端にかかるのみならず、一たび掛け得れば、いつでも胃の中に収まるべきものである。 また思う百年は一年のごとく、一年は・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・物の憐れの胸に漲るは、鎖せる雲の自ら晴れて、麗かなる日影の大地を渡るに異ならず。野をうずめ谷を埋めて千里の外に暖かき光りをひく。明かなる君が眉目にはたと行き逢える今の思は、坑を出でて天下の春風に吹かれたるが如きを――言葉さえ交わさず、あすの・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ 掘鑿の中は、雪の皮膚を蹴破って大地がその黒い、岩の大腸を露出していた。その上を、悼むように、吹雪の色と和して、ダイナマイトの煙が去りやらず、匍いまわっていた。が、やがて、小林と秋山とが倒れている川上の、捲上小屋の方へ、風に送られて流れ・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・なほ追へども去らず、再び何やらにて大地に突き落しぬ。猫は庭の松の木に上りて枝の上に蹲りたるままいと平らなる顔にてこなたを見おこせたり。かくする間この猫一たびも鳴かざりき。〔自筆稿『ホトトギス』第三巻第一号 明治32・10・10〕・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・ これを見たものみな身の毛もよだち大地も感じて三べんふるえたと云うのだ。いま私らはこの実をとることができない。けれどももしヴェーッサンタラ大王のように大へんに徳のある人ならばそしてその人がひどく飢えているならば木の枝はやっぱりひとりでに・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・それにお前さんのからだは大地の底に居たときから慢性りょくでい病にかかって大分軟化してますからね、どうも恢復の見込がありません。」病人はキシキシと泣く。「お医者さん。私の病気は何でしょう。いつごろ私は死にましょう。」「さよう、病人・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・リアリズムが人間の芸術表現にとって大地のような性質だということは、すべての架空な物語、幻想をとりあげてしらべてみるとわかる。どんな虚構、どんな作為のファンタジーにしても、それが文学として実在し、読者の心に実在感をもってうけいれられるためには・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
大地は大変旧いものだ。けれども同時に刻々生成をやすめない恒に新鮮なものでもある。 私たちの生活に、社会について自然についていろいろと科学的な成果がゆたかに齎らされるにつれて、旧き大地の新しさや、そこの上に生じてゆく社会・・・ 宮本百合子 「新しき大地」
・・・私はもっとしっかりと大地を踏みしめて、あくまで浮かされることを恐れなくてはいけない。生活態度の質実はやがて製作態度をも質実にするだろう。製作態度の質実はやがて表現の簡素と充実とをもたらすだろう。 私は芸術的良心が生活態度の誠実でない人の・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・その時、まず第一に問題となったのは、「大地は円いかどうか」ということであった。羅山はハビアンの説明を全然受けつけず、この問題を考えてみようとさえしていない。次に問題となったのは、プリズムやレンズなどであるが、羅山はキリシタンに対する憎悪をこ・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫