・・・唯、威儀を正しさえすれば、一頁の漫画が忽ちに、一幅の山水となるのは当然である。 近藤君の画は枯淡ではない。南画じみた山水の中にも、何処か肉の臭いのする、しつこい所が潜んでいる。其処に芸術家としての貪婪が、あらゆるものから養分を吸収しよう・・・ 芥川竜之介 「近藤浩一路氏」
・・・彼は英語の海語辞典を片手に一頁ばかり目を通した後、憂鬱にまたポケットの底の六十何銭かを考えはじめた。…… 十一時半の教官室はひっそりと人音を絶やしている。十人ばかりの教官も粟野さん一人を残したまま、ことごとく授業に出て行ってしまった。粟・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・か何か読んでいたが、まだ一頁と行かない内に、どう云う訳かその書物にたちまち愛想をつかしたごとく、邪慳に畳の上へ抛り出してしまった。と思うと今度は横坐りに坐ったまま、机の上に頬杖をついて、壁の上のウイル――べエトオフェンの肖像を冷淡にぼんやり・・・ 芥川竜之介 「葱」
・・・を見つけ、二三頁ずつ目を通した。それは僕の経験と大差のないことを書いたものだった。のみならず黄いろい表紙をしていた。僕は「伝説」を書棚へ戻し、今度は殆ど手当り次第に厚い本を一冊引きずり出した。しかしこの本も挿し画の一枚に僕等人間と変りのない・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・探偵小説は百頁から百五十頁一冊の単行本で、原稿料は十円に十五円、僕達はまだ容易にその恩典には浴し得なかったのであるが、当時の小説家で大家と呼ばれた連中まで争ってこれを書いた。先生これを評して曰く、。 その後にようやく景気が立ちなおってか・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・が、天下の大富豪と仰がれるようになったのは全く椿岳の兄の八兵衛の奮闘努力に由るので、幕末における伊藤八兵衛の事業は江戸の商人の掉尾の大飛躍であると共に、明治の商業史の第一頁を作っておる。 椿岳の米三郎が淡島屋の養子となったは兄伊藤八兵衛・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・如何なる時代の歴史の頁を繙いて見ても二十五年間には非常なる大事件が何度も繰返されている。如何なる大破壊も如何なる大建設も二十五年間には優に楽々と仕遂げ得られる。一国一都市の勃興も滅亡も一人一家の功名も破滅も二十五年間には何事か成らざる事は無・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・明治の酷吏伝の第一頁を飾るべき時の警視総監三島通庸は遺憾なく鉄腕を発揮して蟻の這う隙間もないまでに厳戒し、帝都の志士論客を小犬を追払うように一掃した。その時最も痛快なる芝居を打って大向うを唸らしたのは学堂尾崎行雄であった。尾崎は重なる逐客の・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・書き終ってふと前の頁を見ると、小谷治 二十九歳。妻糸子 三十四歳――という字がぼんやり眼にはいった。数字だけがはっきり頭に来た。女の方が年上だなと思いながら、宿帳を番頭にかえした。「蜘蛛がいるね」「へえ?」 番頭は見上げて、いま・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ 忘れもせぬ、……お前も忘れてはおるまい、……青いクロース背に黒文字で書名を入れた百四十八頁の、一頁ごとに誤植が二つ三つあるという薄っぺらい、薄汚い本で、……本当のこともいくらか書いてあったが、……いや、それ故に一層お前は狼狽して、莫迦・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫