・・・を横ぎり鉄道馬車の通う大通りへ曲らんとするところだと思いたまえ、余の車は両君の間に介在して操縦すでに自由ならず、ただ前へ出られるばかりと思いたまえ、しかるに出られべき一方口が突然塞ったと思いたまえ、すなわち横ぎりにかかる塗炭に右の方より不都・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ そしてしばらく木のある町を通って大通りへ出てまたしばらく行きますとみちは十文字になってその右手の方、通りのはずれにさっきカムパネルラたちのあかりを流しに行った川へかかった大きな橋のやぐらが夜のそらにぼんやり立っていました。 ところ・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・見たまえ、東京の大きな料理屋だって大通りにはすくないだろう」 二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりの紳士・・・ 宮沢賢治 「注文の多い料理店」
・・・とうとうデストゥパーゴは立ちどまって、しばらくあちこち見まわしてから、大通りから小さな小路にはいりました。わたくしは知らないふりしてぐんぐん歩いて行きました。その小路をはいるとまもなく、一つの前庭のついた小さな門をデストゥパーゴははいって行・・・ 宮沢賢治 「ポラーノの広場」
一 陽子が見つけて貰った貸間は、ふき子の家から大通りへ出て、三町ばかり離れていた。どこの海浜にでも、そこが少し有名な場所なら必ずつきものの、船頭の古手が別荘番の傍部屋貸をする、その一つであった。 ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・そして、秋の末頃の朝、弟と二人で、武蔵屋の横丁から斜に東片町の大通りを横切って、突当りに学校が見える横通りに出て見よう。 何といっても、朝は門が開かないうちに行くのが嬉しかった。十分か十五分、級の違う他の子供と一緒に傍のトタン塀によりか・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・ モスクで、私の暮したホテルはパッサージという名で、今ゴーリキイ通となった大通りにあった。冬の凍った三重窓に青く月の光がさして、夜の十二時にクレムリから大時計の音楽の一くさりが響いて来た。窓の前は、モスク夕刊新聞の屋上で、クラブになって・・・ 宮本百合子 「カメラの焦点」
・・・お千代ちゃんが当番で、二人並び東片町の大通りを来ると、冬など、もう街燈が灯っていることもあった。 * 由子とお千代ちゃんは歌をうたった。 阿蘇の山里秋更けて 眺め淋しき冬まぐれ ・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・ 彼は、労働者の集会に列席し、職場大会に出席し、ときには大通りの「茶飲所」やビヤホールの群集の中にまじりこんで、一般労働者の仲間の雑談をもきく。そして、彼の見聞を記録するとしても、その作家が、ソヴェト・フォード工場の建てられた社会的意義・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ベルリンのウンテル・デン・リンデンと云う大通りの人道が、少し凸凹のある鏡のようになっていて、滑って歩くことが出来ないので、人足が沙を入れた籠を腋に抱えて、蒔いて歩いています。そう云う時が一番寒いのですが、それでもロシアのように、町を歩いてい・・・ 森鴎外 「かのように」
出典:青空文庫