・・・ 関東大震後に私は首都の枢要部をことごとく地下に埋めてしまうという方法を考えたことがある。重要な官衙や公共設備のビルディングを地上百尺の代わりに地下百尺あるいは二百尺に築造し、地上は全部公園と安息所にしてしまう。これならば大地震があって・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・ 先住アイヌが日本の大部に住んでいたころにたとえば大正十二年の関東大震か、今度の九月二十一日のような台風が襲来したと想像してみる。彼らの宗教的畏怖の念はわれわれの想像以上に強烈であったであろうが、彼らの受けた物質的損害は些細なものであっ・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・ 十月十四日 九月一日関東、湘南に大震があり、東京は三分の二焼けの原となった。 この為に、種々の思想的変化が生じた。 一つ自分の家について考えて見ても、今迄よいところがあったら移ろうと思って居た心持がすっかり・・・ 宮本百合子 「一九二三年夏」
・・・ 知ろうともしなかった此時間の記憶は後になって、意外に興味ある話題になった、何故なら、東京であの大震は十一時五十八分に起ったと認められている。ところが当時大船のステーションの汽車の中にい、やっと倒れそうな体を足で踏張り支えていた私の弟は・・・ 宮本百合子 「私の覚え書」
出典:青空文庫