・・・『太平記』の繙読は藤原藤房の生涯について景仰の念を起させたに過ぎない。わたくしはそもそもかくの如き観念をいずこから学び得たのであろうか。その由って来るところを尋ねる時、少年のころ親しく見聞した社会一般の情勢を回顧しなければならない。即ち明治・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・彼らはようやく太平に入る。 すべてを忘れ尽したる後女はわがうつくしき眼と、うつくしき髪の主である事を忘れた。一人の男は髯のある事を忘れた。他の一人は髯のない事を忘れた。彼らはますます太平である。 昔し阿修羅が帝釈天と戦って敗れたとき・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・例えば昔の竹取物語とか、太平記とかを見ると、いろいろな人間が出て来るがみんな同じ人間のようであります。西鶴などに至ってもやはりそうであります。つまりああいう著者には人間がたいてい同様にぼうっと見えたのでありましょう。分化作用の発展した今日に・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・ここに文字の義を細かに論ぜずして民間普通の語を用うれば、天下泰平・家内安全、すなわちこれなり。今この語の二字を取りて、かりにこれを平安の主義と名づく。人として平安を好むは、これをその天性というべきか、はた習慣というべきか。余は宗教の天然説を・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・ 貧民の有様、かくの如しといえども、近年は政府よりもしきりに御世話、市在の老人たちもしきりに説諭、また一方には、日本の人民も久しく太平文化の世に慣れて、教育の貴きゆえんを知り、貧苦の中にも、よくその子を教育の門に入らしめ、もって今日の盛・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・『太平』という雑誌の十月号は「欧洲の女性は前進する」という題で、ドロシー・D・クルックルという婦人がこの事情を説明して書いている記事をのせている。 このたびの戦争によって世界には未亡人が満ちあふれた。ナチス・ドイツは、女性の歎きと訴・・・ 宮本百合子 「世界の寡婦」
・・・愚鈍な人間共が、何も知らずに泰平がっている有様を、もう一息の寿命だ。見納めに見てやろう。ヴィンダー 俺の大三叉も、そろりそろりと鳴り始めたぞ。この掌に伝わる頼もしい震動はどうだ。ふむ。感じの鋭い空気奴、もう南風神に告げたと見える、雲が乱・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・どれほど殿様を大切に思えばといって、誰でも勝手に殉死が出来るものではない。泰平の世の江戸参勤のお供、いざ戦争というときの陣中へのお供と同じことで、死天の山三途の川のお供をするにもぜひ殿様のお許しを得なくてはならない。その許しもないのに死んで・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・客は宰相令狐綯の家の公子で令狐※ 参照 其一 魚玄機三水小牘 南部新書太平広記 北夢瑣言続談助 唐才子伝唐詩紀事 全唐詩全唐詩話 ・・・ 森鴎外 「魚玄機」
・・・ このごろのならいとてこの二人が歩行く内にもあたりへ心を配る様子はなかなか泰平の世に生まれた人に想像されないほどであッて、茅萱の音や狐の声に耳を側たてるのは愚かなこと,すこしでも人が踏んだような痕の見える草の間などをば軽々しく歩行かない・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫